本レポートでは、まず、アラビア数字と「0」が生まれた歴史を述べ、それらが他の数字と比べてどのように便利であるのか改めて考える。そして、「0」という概念の発見と、インドという土地との間にどのようなつながりがあるかに着目し、調べた内容を基に論じることにする。
インドの古語であるサンスクリット語では、「0」のことを“シューニア”(sunya)という。シューニアとは、もともと「無」「欠如」という意味で用いられており、そこから「0」=シューニアとなったのである。
他方、仏教における「無常」や「空」という呼称は、仏教が中国へ伝わったときに、中国語で解された訳語で、私たちはその呼称を用いて表現しているにすぎない。したがって、私たちが「空」と呼ぶものは、釈迦や龍樹にはサンスクリット語で表現されていたはずである。そして、まさしくそれが“シューニア”だったのである。つまり、“シューニア”は、「空」と「0」の両義を表す語なのである。
このことから、私は、「0」がインドで生まれたことと、「空」を本質とする仏教がインドで起こったことは偶然ではなく、「空」の思想こそが「0」を生み出させたのだと考える。
このように考えると、「0」は単なる数というだけでなく、概念である。仏教の「無常」や「空」という概念は、他の宗教と比較した場合、珍しい考え方である。どの宗教も、自己を戒めながらも、自己の存在やその根拠を、主観的な希望をもって認めているように思える。しかし、仏教が示したものは、それら一切の否定である。私は、この冷淡で儚い思想にこそ、「0」を生み出す鍵があったのだと思う。
<テーマ・動機>
今日、インド人は、IT産業のエンジニアとして世界各国で活躍している。それは、インドの国策や教育体制だけが要因ではなく、インド人は数学的思考に優れていることも要因であると言われている。
インドは、アラビア数字や「0」という数字を生み出した土地でもある。私は、このアラビア数字と「0」の発見に興味を持った。私たちの生活において、ゼロという概念は当然のように根付き、それなしでは物事を考えることができないほど不可欠なものである。それにもかかわらず、ゼロははじめから存在していたのはなく、後から発見されたものなのである。
本レポートでは、まず、アラビア数字と「0」が生まれた歴史を述べ、それらが他の数字と比べてどのように便利であるのか改めて考える。そして、「0」という概念の発見と、インドという土地との間にどのようなつながりがあるかに着目し、調べた内容を基に論じることにする。
<アラビア数字(算用数字)の起源>
私たちが現在使用している1 2 3・・・という数字は、アラビア数字といい、日本では算用数字とも呼ばれている。正確には、0~9までの10種類の数字を指す。アラビア語では「インド...