「図説・現代哲学で考える<表現・テキスト・解釈>」にはこのようにある。
「そもそも人文科学や社会科学の研究対象は、(中略)歴史の流れの中で理解されるべき領域に属する」「その際、人文科学や社会科学の方法として、ある種の「意味理解」がおこなわれる」「そのような「意味理解」とは、自然科学のように直ちに普遍的法則を設定して個別的事象に働く原理を解明することを目指すのではなく、まさに「一回的」にのみ生成する歴史的事象の個別の独自性、言い換えれば個性を捉えようとする作業である」
以下、この著述に従って、歴史における意味理解の方法についてみていこうと思う。それが今回のレポートの主眼である。
歴史というのはひとまず価値ある証拠を収集し、統合し、史実を確定することから始まる。史実が確定され、その上総合されても、それだけでは史実の形骸につながるから、それ
を生かし、再現しなければならない。再現はどうして行なうか。ひとは、そこに想像が作
用するという。一般的に言われ、またわれわれも実感するとおり、史学は直接観察することのできない学問であるから、自然科学の場合とは異なる。そのためには想像することが必要である。想像といっても、勝手気ままなものでなく、証拠物件の許す範囲内での想像である。ただし、想像を上のように限定しでも主観が入ってくることはどうしても避けることのできないものであるだろう。
2005年度 哲学基礎論Ⅰ(宮原勇教授)課題レポート
歴史における解釈とその表現
T6 1024173350 小林篤司
序
「図説・現代哲学で考える<表現・テキスト・解釈>」にはこのようにある。
「そもそも人文科学や社会科学の研究対象は、(中略)歴史の流れの中で理解されるべき領域に属する」「その際、人文科学や社会科学の方法として、ある種の「意味理解」がおこなわれる」「そのような「意味理解」とは、自然科学のように直ちに普遍的法則を設定して個別的事象に働く原理を解明することを目指すのではなく、まさに「一回的」にのみ生成する歴史的事象の個別の独自性、言い換えれば個性を捉えようとする作業である」
以下、この著述に従って、歴史における意味理解の方法についてみていこうと思う。それが今回のレポートの主眼である。
歴史というのはひとまず価値ある証拠を収集し、統合し、史実を確定することから始まる。史実が確定され、その上総合されても、それだけでは史実の形骸につながるから、それ
を生かし、再現しなければならない。再現はどうして行なうか。ひとは、そこに想像が作
用するという。一般的に言われ、またわれわれも実感...