人間の自己意識

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    資料紹介

    自己意識とは、自己の自己に対する関係であり、この自己意識は、自己の自己の自己の自己の・・・意識というふうに無限に再帰する、円還したシステムである。たとえば日記をつける。自己の自己との対話である。ここで私たちは自己の錯綜した関係にもがくことがある。実際にそうした経験をしたことのあるものも多いと思う。自分が自分を偽って、言語に表れた自己と、そこにはあらわれない自己との分裂、分裂をなおそうとする自己と、さらにそこから逃れようとする自己、無限の関係は永遠と錯綜してゆく。これが自己意識の実体なのではないか。

    ローマの雄弁家キケロは人間を「文化的動物」として定義したが、もともと「文化」を示す欧米語の語源となったラテン語の cultura は「耕作」や「土地の世話」を意味する言葉であり、また人間をさす「ホモ(homo)」は「大地(humus)」という語根をもっている。
    そして、アダム(人間)はアダマー(地)から来ている。従って、文化はこの大地(人間)を耕すことであり、自己とその環境の開発を意味していると捉えることができる。 
     結論としては、人間は、生物として、自己とその環境の開発という課題を自己の本質的宿命として負わなければならない存在に他ならないのである。そして、洞窟壁画時代からの自己意識と人間のあり方というのは、今なお現在進行的なものであり、そして未来においても永遠に続いていくものであろう。

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     洞窟壁画時代から既に見られたという人間の自己意識。この自己意識とは人間特有のものなのであろうか。「自己意識」という概念で有名なヘーゲルによれば、「動物は自己について語ること、「我は・・・」と言うことができない」とある。ヘーゲルの言う「自己意識」とは、つまり一度自分のポジションから離れて、そのポジションを振り返るということであって、そのような「他者の視線」の獲得を経て「自己」を振り返ることができるのは人間のみで、動物は「私の視線」から出ることができないのである。この自己意識を持ち始めたときから、人間は自分とはいったい何か、自分はいったいどういう人間か、人間とは何か、と問うことを始めたのではないだろうか。つまり自己意識とは、反省のしくみ、自己改良・適応促進のシステムであるとも言える。自己意識とは、自己の自己に対する関係であり、この自己意識は、自己の自己の自己の自己の・・・意識というふうに無限に再帰する、円還したシステムである。たとえば日記をつける。自己の自己との対話である。ここで私たちは自己の錯綜した関係にもがくことがある。実際にそうした経験をしたことのあるものも多いと思う。自分が自分を...

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