十字軍とは、中世に西ヨーロッパのキリスト教徒諸国が、聖地エルサレムのイスラーム国からの奪還を目的に派遣した遠征軍のことである。「奪還」というと、イスラーム国側に「奪われた」聖地を、十字軍が「取り戻す」というイメージが浮かぶ。しかし、これはヨーロッパ側から見た、十字軍の解釈である。それではイスラーム国側にとっての十字軍とはどのようなものだったのだろうか。
ヨーロッパ東方のビザンツ帝国では、アレクシオス一世(在位1081―1118)の治世になると、セルジューク・トルコ軍のたびかさなる侵入に脅かされ、エルサレムへの巡礼路はしばしば切断された。トルコ軍の圧力に耐え切れなくなったアレクシオスは、ついにローマ教皇ウルバヌス二世にたいして西ヨーロッパからの援軍の派遣を求めたのである。要請を受けたローマ教皇ウルバヌス2世は、カトリック教会の派遣を東方正教会圏まで広げる好機ととらえ、フランスの騎士軍に指令を下した。「神はキリストの旗手たるあなたがたに、私たちの土地からあのいまわしい民族(トルコ人)を根絶やしにするよう勧告しておられる」。「異教徒と戦うことによって罪を贖うことができる」という教えに心を奮い立たせて、騎士と民衆からなる十字軍が東方への旅に出発したのは1096年8月のことである。
1098年、コンスタンティブールを出発したフランスのボードワン・ド・ブーローニュは、ビザンツ側の領主からアレッポ北方のエデッサ(アラブ名はルハー)を奪い、オリエントの地に最初のラテン国家、エデュッサ伯国(1098―1144)を樹立した。また、1099年エルサレムを攻略した十字軍は、多数のムスリムやユダヤ教徒を虐殺した後に、エルサレム王国(1099―1291)を樹立。
「中東からみた『十字軍』」
十字軍とは、中世に西ヨーロッパのキリスト教徒諸国が、聖地エルサレムのイスラーム国からの奪還を目的に派遣した遠征軍のことである。「奪還」というと、イスラーム国側に「奪われた」聖地を、十字軍が「取り戻す」というイメージが浮かぶ。しかし、これはヨーロッパ側から見た、十字軍の解釈である。それではイスラーム国側にとっての十字軍とはどのようなものだったのだろうか。
ヨーロッパ東方のビザンツ帝国では、アレクシオス一世(在位1081―1118)の治世になると、セルジューク・トルコ軍のたびかさなる侵入に脅かされ、エルサレムへの巡礼路はしばしば切断された。トルコ軍の圧力に耐え切れなくなったアレクシオスは、ついにローマ教皇ウルバヌス二世にたいして西ヨーロッパからの援軍の派遣を求めたのである。要請を受けたローマ教皇ウルバヌス2世は、カトリック教会の派遣を東方正教会圏まで広げる好機ととらえ、フランスの騎士軍に指令を下した。「神はキリストの旗手たるあなたがたに、私たちの土地からあのいまわしい民族(トルコ人)を根絶やしにするよう勧告しておられる」。「異教徒と戦うことによって罪を贖うことが...