イギリスにおけるルネッサンス

閲覧数8,481
ダウンロード数11
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

     ルネッサンスを中世におけるキリスト教と封建制度の束縛から逃れ、本来の人間性を回復するためにギリシャ・ローマの古典文化を模範にし、その研究が盛んに行われたという意味に捉えるならば、イギリスのルネッサンスはアルフレッド大王がローマの哲学者ボエスティウス著『哲学の慰めについて』を訳述したことにまでさかのぼることができよう。15世紀に入ると、東ローマ帝国が崩壊してコンスタンチノーブルが陥落してギリシャの学者がイタリアに逃れ、また印刷術の発達によりイタリア・ルネッサンスが開花した。そのような時代に、イギリスでもギリシャ語の研究のためにイタリアへ渡る研究者も現われてきたが、当初からその特徴はイタリアよりも宗教的色彩が濃く、政治・社会問題に関連することではより現実的であった。
     イギリス・ルネッサンスの宗教的な面ではジョン・コレットに表われている。コレットは当時の堕落した聖職者の生活ぶりを攻撃し、主イエス・キリストに対する知識や崇拝する心、そしてキリスト教徒としての生き方を育てようと教育熱心で、新しい規約は作る必要がなく、既存のものを遵守することが大切であると訴えていた。政治的な面ではオランダのエラスムス、社会経済的な面ではトマス・モアが代表される。この二人はコレットから講義を受けており、それに感銘を受けて洗練された知識を身につけた。また、ルネッサンスの根源にある人間性の回復という意味で、文明社会と共存できる社会福祉に関する思想も影響を受けた。エラスムスは聖書の研究と教会の改革を提唱していたイギリスの人文主義者に影響を受け、神学に関心を持ってギリシャ語を学び始めた。その後、イタリア旅行したが、キリスト教会の闘争や聖職者の悪徳に幻滅してイギリスに戻り、『痴愚神礼讃』を著した。これはキリスト教の教えの実行を妨げる様々な障害を風刺したものである。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

     ルネッサンスを中世におけるキリスト教と封建制度の束縛から逃れ、本来の人間性を回復するためにギリシャ・ローマの古典文化を模範にし、その研究が盛んに行われたという意味に捉えるならば、イギリスのルネッサンスはアルフレッド大王がローマの哲学者ボエスティウス著『哲学の慰めについて』を訳述したことにまでさかのぼることができよう。15世紀に入ると、東ローマ帝国が崩壊してコンスタンチノーブルが陥落してギリシャの学者がイタリアに逃れ、また印刷術の発達によりイタリア・ルネッサンスが開花した。そのような時代に、イギリスでもギリシャ語の研究のためにイタリアへ渡る研究者も現われてきたが、当初からその特徴はイタリアよりも宗教的色彩が濃く、政治・社会問題に関連することではより現実的であった。
    イギリス・ルネッサンスの宗教的な面ではジョン・コレットに表われている。コレットは当時の堕落した聖職者の生活ぶりを攻撃し、主イエス・キリストに対する知識や崇拝する心、そしてキリスト教徒としての生き方を育てようと教育熱心で、新しい規約は作る必要がなく、既存のものを遵守することが大切であると訴えていた。政治的な面ではオランダのエラ...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。