秦始皇

閲覧数1,968
ダウンロード数7
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    自らのテーマに合った本を読み、それについて書け」という課題で私が読んだのは、吉川忠夫の『秦の始皇帝』である。この本は史上初めて「皇帝」を称した秦王政こと秦の始皇帝の生まれから、死後はかりごとを以って二世皇帝の座についた胡亥がその無能により国を乱し、やがて項羽と劉邦によって秦が崩されるまでを描いたものである。この本は始皇帝の生涯というよりは、彼が成した政治形態の他との類似や彼の部下達による上奏文などが中心となっている。
     文章は始皇帝の父、子楚が趙の国人質として出されていた頃から始まる。子楚は呂不韋と謀って太子の位につき、やがて秦王となる。しかし在位三年目にして死亡し、息子の政が後を継いだ。呂不韋は彼に代わって政治を動かしたが、政の母である太后によるクーデター未遂事件に伴って失脚、自殺した。そして政の親政が始まる。彼は秦国内の外国人に国外退去命令『逐客令』を出すが、李斯の手紙によって諌められる。この李斯の諫言書は本書中二十三ページに及ぶが、その中に有名な商鞅の例が述べられている。商鞅は魏の出身であったが孝公時代の秦の政治家を務め、徹底した富国強兵策を行って秦を軍事強国に変えた、という故事である。商鞅自身は孝公の没後は反逆の罪に問われて処刑されてしまったが。ともあれこの李斯の上奏により、逐客令は取り下げられた。これ以後李斯は政に取り立てられ、天下統一計画の推進者となる。

    タグ

    レポート史学始皇帝胡亥李斯

    代表キーワード

    史学始皇帝秦始皇

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    「自らのテーマに合った本を読み、それについて書け」という課題で私が読んだのは、吉川忠夫の『秦の始皇帝』である。この本は史上初めて「皇帝」を称した秦王政こと秦の始皇帝の生まれから、死後はかりごとを以って二世皇帝の座についた胡亥がその無能により国を乱し、やがて項羽と劉邦によって秦が崩されるまでを描いたものである。この本は始皇帝の生涯というよりは、彼が成した政治形態の他との類似や彼の部下達による上奏文などが中心となっている。
     文章は始皇帝の父、子楚が趙の国人質として出されていた頃から始まる。子楚は呂不韋と謀って太子の位につき、やがて秦王となる。しかし在位三年目にして死亡し、息子の政が後を継いだ。呂不韋は彼に代わって政治を動かしたが、政の母である太后によるクーデター未遂事件に伴って失脚、自殺した。そして政の親政が始まる。彼は秦国内の外国人に国外退去命令『逐客令』を出すが、李斯の手紙によって諌められる。この李斯の諫言書は本書中二十三ページに及ぶが、その中に有名な商鞅の例が述べられている。商鞅は魏の出身であったが孝公時代の秦の政治家を務め、徹底した富国強兵策を行って秦を軍事強国に変えた、という故...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。