『こころ』は、「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の三部にわかれて、1つの作品を構成している。「先生と私」では「私」が一人称であり、私は「先生」と出会い、先生の思想や暗い部分に触れることによって、先生の過去などの謎を提起する部分である。先生の思想や発言にはたくさんの伏線がはられており、読者はそれを感じながら先へと読み進めることになる。
「両親と私」では、先生と対極の地位・思想にあると思える父親の、死に対峙する場面である。その中で、わずかな先生との手紙・電報のやりとりに、私は一喜一憂する。と、父親が危篤状態の時に、先生から分厚い手紙がくる。彼は父の死の瞬間がくる畏怖を抱えながら、先生の手紙をめくる。すると、最後に先生の死を示す文があり、私はあせって東京へ向かう…。この二つの章は、最後の「先生と遺書」につなぐ伏線をはりめぐらせ、また「先生と遺書」で語られる経験の結果、先生はどうなったのかを先に示している。そして、漱石が一番伝えたかったものは、前の二つの章に盛り上げられ、最終章である「先生と遺書」へ凝縮される。
「先生と遺書」では「私」という一人称が「先生」を指すことになる。『こころ』の真の主人公は先生なのである。しかし、あえて前半では「私」を一人称にすることによって、先生が客観的にどういう人物であったのか、また、どういう生活をしているのか示すことができるのだ。
夏目漱石の『こころ』を読んで
『こころ』は、「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の三部にわかれて、1つの作品を構成している。「先生と私」では「私」が一人称であり、私は「先生」と出会い、先生の思想や暗い部分に触れることによって、先生の過去などの謎を提起する部分である。先生の思想や発言にはたくさんの伏線がはられており、読者はそれを感じながら先へと読み進めることになる。
「両親と私」では、先生と対極の地位・思想にあると思える父親の、死に対峙する場面である。その中で、わずかな先生との手紙・電報のやりとりに、私は一喜一憂する。と、父親が危篤状態の時に、先生から分厚い手紙がくる。彼は父の死の瞬間がくる畏怖を抱えながら、先生の手紙をめくる。すると、最後に先生の死を示す文があり、私はあせって東京へ向かう…。この二つの章は、最後の「先生と遺書」につなぐ伏線をはりめぐらせ、また「先生と遺書」で語られる経験の結果、先生はどうなったのかを先に示している。そして、漱石が一番伝えたかったものは、前の二つの章に盛り上げられ、最終章である「先生と遺書」へ凝縮される。
「先生と遺書」では「私」という一人称が「先...