1878年に「自然の順序に従って諸心力を開発すべし」というペスタロッチ主義の原則が東京師範学校を中心にして日本に入ってきた。その原則は日本においての教授法について書かれた初期の書物でも語られおり、多大な影響を与えた。具体的には、生徒が何かを発見し、問いを発するところから教育を開始する、というものである。ここでは、従来の教科書中心、暗記中心の教育から離れ、問答法を中心とした開発主義によってより活発な授業を目指すことを目標にしている。今現在言われていることとほとんど変わらないと感じられる、なぜこの潮流が消えてしまったのだろうか。
それは、1887年にヘルバルト学派の「五段教授法」が日本に入ってきたことが影響している。五段教授法とは、予備、提示、比較、総括、応用という五つの段階を持って授業計画を遂行する、というものである。一見よくまとまっている方法ですばらしいように思え、また、また当時の思想統一へ向かった政治的潮流にも乗り(1889年 明治憲法発布、1890年 教育勅語)、教育方法は生徒のことを中心にすえたものから、教師がきっちりと授業の流れを管理する教師中心のものへと変貌を遂げたのだ。
しかし、これは上述したような時代の大きな潮流のためだけに仕方なく起こったことだったのだろうか。推測するに、時の教師は教育現場におけるペスタロッチ主義の限界を感じていたのだと思われる。生徒の興味関心からの問答法とは響きは大変良いし、もしうまくできる方法があるならば理想的に思える、しかし実際そういった自由な教育を行うには教師の負担たるや想像を絶するものがある。また、教師の資質の高さも問われてくるし、教師によって生徒への教育が変わってくることになる。
本当の児童中心教育とは
1878年に「自然の順序に従って諸心力を開発すべし」というペスタロッチ主義の原則が東京師範学校を中心にして日本に入ってきた。その原則は日本においての教授法について書かれた初期の書物でも語られおり、多大な影響を与えた。具体的には、生徒が何かを発見し、問いを発するところから教育を開始する、というものである。ここでは、従来の教科書中心、暗記中心の教育から離れ、問答法を中心とした開発主義によってより活発な授業を目指すことを目標にしている。今現在言われていることとほとんど変わらないと感じられる、なぜこの潮流が消えてしまったのだろうか。
それは、1887年にヘルバルト学派の「五段教授法」が日本に入ってきたことが影響している。五段教授法とは、予備、提示、比較、総括、応用という五つの段階を持って授業計画を遂行する、というものである。一見よくまとまっている方法ですばらしいように思え、また、また当時の思想統一へ向かった政治的潮流にも乗り(1889年 明治憲法発布、1890年 教育勅語)、教育方法は生徒のことを中心にすえたものから、教師がきっちりと授業の流れを管理する教師中心のもの...