有間皇子挽歌卒論5

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    しかし、矛盾点があっても、二首一組を題詞で処理してしまう点で、これは成立時期や事情を同じくした場合にも、同様のことが考えられないだろうか。つまり、実作として有間がD・J歌を詠んだ場合でも、編纂者は、内容の異なる二首を内包する題詞をつけようとするであろうし、その際には、両歌に共通する点を探すのではないだろうか。編纂者は有間皇子事件を念頭に、有間の「旅の不如意の嘆き」を両歌の共通点として、結び松の行為により注目を置き、それに引きずられる形で、「松が枝を結べる歌二首」の題詞に置いたと考えられよう。
    また、二首を実作として見た際、二首の内容に乖離が生じるとの問題点もあるが、有間が護送の途次、岩代の地で松を見て、J歌を詠むに至った理由は不自然なものではない。D歌では自らの運命の如何ともしがたいことを、J歌では旅路の不如意の嘆きを詠んでいる。この二首の関係は、松結びの、旅の安全を祈る行為によって貫かれたものであり、両歌ともに、思うに任せぬ身を松結びに託したものと考えられよう。D歌が直接的に、「またかへり見む」と、結び松を再度見ることを、旅の身の安全としたのに対し、J歌では「家にあれば…A 旅にしあ...

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