2010 年秋学期・堀茂樹研究会
総合政策学部 1 年 柏野尊徳
71001943
いかなる能力によって徳と悪徳の区別はなされるか?:
ヒュームの道徳理論における共感(Sympathy)の役割
はじめに
0.1 本レポートの目的
ヒュームは人間の本性に関わる全領域に問題意識を持っており、その中心意識は道徳の分野
にあったとされる(富田,1989;古賀,1993)。そこで、このレポートではヒューム哲学を捉える上で重
要と思われる道徳に焦点を当て、ヒュームの道徳理論を理解することを目的に考察を行なう。主に
『人性論』(A Treatise of Human Nature, 1739-40)を参照しながら、特に第三篇の道徳に就いて
(BookⅢ:OF MORALS.)を取り扱う。具体的には主に小池(1970-71)の先行研究を足がかりとし
て「いかなる能力によって道徳的区別が行われるか」をテーマにヒュームの道徳理論整理を目標と
する。
0.2 レポートの構成と要旨
第 1 章でヒューム哲学における道徳論の概観について触れ、第 2 章で道徳的区別の源泉であ
る道徳感覚情についての整理を行い、徳と悪徳は苦痛と悪徳によって区別されることを提示する。
第 3 章で道徳的区別の主要源泉である共感について考察し、徳と悪徳の区別は共感を土台とし
た情念的判断によっておこなわれる事を示す。最終的な結論として、共感を介した快こそが徳であ
り、ヒュームの道徳哲学において共感という概念が極めて重要な位置にあったことを主張したい。
なお、ヒュームの翻訳書は絶版となったものも数点あるため、原著に当たることでしかその概要
を掴みにくいのが現状である。このレポートが、今後西洋哲学を研究する堀茂樹研究会の履修者
にとって有益な基礎的資料の一つになれば幸いである。
第 1 章 ヒューム哲学における道徳理論の概要
この章では、「道徳的区別は理性に由来しない」というヒュームの主張を取り上げて、1)道徳に
おけるヒュームの問題意識、2)なぜ道徳的区別は理性に由来しないのか、3)以上 2 点から考察す
るヒュームの哲学的態度について順に述べる。
1.1 ヒュームの道徳的問題意識 ――道徳的区別は理性に由来しない――
ヒュームの道徳理論にはどのような特徴があるのだろうか。オックスフォードの哲学者
J.L.Mackie(1980)は著書 Hume’s Moral Theory にて、ヒュームの道徳理論には次のような 4 つの
論点が存在するとしている(ただし斉藤(1987, p.73)による)。1)客観的な道徳的価値は存在する
か否か、2)人間は本性上完全に利己的か否か、3)道徳は何らかの仕方で神や宗教に依存するか
否か、4)いかにして、いかなる能力によって我々は徳・悪徳の区別をなすのか(表 1)。
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表 1 ヒュームの道徳理論における4つの論点(J.L.Mackie, 1980)
1.
客観的な道徳的価値は存在するか否か
2.
人間は本性上完全に利己的か否か
3.
道徳は何らかの仕方で神や宗教に依存するか
4.
いかにして、いかなる能力によって我々は徳・悪徳の区別をなすのか
注:斉藤(1987, p.73)による
これら 4 つが主要な論点になりうると思われるが、議論に移る前にヒュームの代表的著作iとされ
る『人性論』(A Treatise of Human Nature, 1739-40)について触れたい。『人生論』は全 3 篇より構
成され、それぞれ知性や情念といった主題が取り扱われており、中でも第 3 篇は道徳論がその中
心的主題となっている(表 2;以下、便宜上『人性論』の第 2 篇と第 3 篇をそれぞれ『情念論』『道
徳論』とする)。『道徳論』の冒頭で「徳と悪徳の区別は理性に由来しない」(Hume, 2003, p. 325)
とヒュームは主張しており、この主張には『人間知性研究』(2004)で提示された「知覚は印象と観
念によって成り立つ」とする基本的態度が前提となっている。さらにヒュームは理性によって道徳が
導けないことについて、次のように説明を加える。
「道徳は行動や情念に影響を与えることからわかるように、道徳を理性から導くことは
できない。なぜなら既に証明したように、理性それ自身だけではどんな影響も与えないか
らだ。[一方で]道徳は情念を起こさせ、行動を生み出したり阻止したりする。[だが]理性
自身はその点において全く無力である。道徳の規則は理性によって導きだされたもので
はないのだ。」(Hume, 2003, p. 325) ※[ ]は柏野による
以上から『道徳論』におけるヒュームの問題意識の 1 つは、道徳的区別にあったと考えられる。
このことから、Mackie が提示した 4 番目の論点「いかにして、いかなる能力によって我々は徳・悪徳
の区別をなすのか」へ焦点を当てることが、今回の目的――ヒュームの道徳哲学を理解するため
に道徳理論を考察する――を達成する上で有益かつ妥当といえよう。
表 2 『人性論』(A treatise of human nature)の構成
Book I(第 1 篇)
Book II(第 2 篇)
Book III(第 3 篇)
原題
Of the understanding.
Of the passions.
Of morals.
邦題
知性に就いて
情緒に就いて
道徳に就いて
目的
心を内観し知性の営みを
情念の種類に応じてその
人間本性の諸原理を道徳に適
探求
原因を探求
用し、行動の諸原理を把握
通俗的 に書き直し『人間
――
書き換えて『道徳原理研究』と
備考
して出版※
知性研究』として出版
注:目的・備考共に泉谷(1988)をまとめた。ただし※は小池(1971)。
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1.2 なぜ道徳的区別は理性に由来しないのか
『道徳論』において、ヒュームは理性から道徳を導けないと再三強調している(Ibid., p. 329)。そ
れでは、なぜ道徳的区別は理性に由来しないと断言できるのだろうか。小池(1971)によればこの
主張の要旨は 4 点ある(表 3)。
1)理性は事実認識を行うだけであり、ヒュームにとって事実認識とは観念相互の比較を意味す
る。一方、道徳が影響を与える情念や行動の成立に比較行為は必要なく、それ自体で完結する独
立した事実である。以上のことから理性は道徳的区別に関与しない。
2)徳・悪徳は外的情況ママとの関連の中でのみ生じうる。もし徳・悪徳が人間の内的事実(素
質)によって区別されるなら、外界と無関係に功罪が発生することになる。
3)仮に外的事物との事実関係の中に道徳的区別が見出されるなら、無生物にも道徳的善悪が
生ずることになり不合理である。無生物へは道徳的善悪が生じない。
4)道徳的区別が人間に適用されるには、人間との関わりにおいて道徳が見出される必要があ
る。よって、例え事実関係の中に道徳的区別を見出せたとしても、それだけでは不十分である。
1.3 『人間知性研究』と『道徳論』の共通点 ――アプリオリズムの排斥――
4 つ目の要旨から、小池は道徳基準が外面的な認識や強制からではなく、人間の本性――内
面性・自発性――に基づくものなのかどうかがヒュームにとっての関心ごとであり(1970)、ヒューム
の問題意識は「倫理規範が見出しうるか否かにあるのではなく、倫理規範が人間の本性に立脚し
ているか否か」にあったとする(1971)。
この主張は、『人間知性研究』においてヒュームが「その書物を炎に投ぜよ」(ヒューム, 2004, p.
154)と神学やスコラ形而上学の書物に対して言及したことからも妥当性があると考えられる。ヒュ
ームはアプリオリな形而上学的主題を「正面きって論じることがそもそも不可能」(Ibid., p. 272)で
あるとして徹底的に退けようとした。恐らく、道徳論においても同様の考えが前提にあったのだろう。
「道徳的区別は理性に由来しない」と断言した背景には、論理的な思索とはまた別の領域におい
て、彼の哲学的態度がいくらか関係していたのではないかと思われる。
まとめると、ヒュームは外部からの強制にもとづくアプリオリな倫理の根拠を斥け、人間本性の
基盤の上に倫理規範を確立しようとしたと言えるだろう。
表 3 道徳的区別と理性の関係における 4 つの要旨(小池,1971)
1.
理性の事実認識(相互観念の比較)を行なう。一方、道徳に影響を受ける行動は独立した
事実である。よって理性は道徳的区別に関与しない。
2.
徳・悪徳は外的情況との関連の中でのみ生ずる
3.
人間以外の無生物に対して道徳的善悪が生ずることはない
4.
道徳的区別を人間に適用するには、人間とのかかわりを十分に明らかにする必要がある
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第 2 章 道徳感覚の種類及びその特徴
1 章ではヒュームの道徳理論の概要について整理した。この章では、1)道徳的区別が特定の苦
痛と快感――道徳感覚(moral sense)――に由来すること、2)その道徳的感覚は一般的な苦痛と
快感と違うこと、3)徳には自然的徳と人為的...