今日の家族制度を考える上で、その問題は単に道徳的問題や法律的問題、経済的問題だけでなく、政治的な問題も伺える。明治の旧民法を参考にした上で、どのように家族制度が変容していったのかを述べたい。
家族制度の政治的背景について
今日の家族制度を考える上で、その問題は単に道徳的問題や法律的問題、経済的問題だけでなく、政治的な問題も伺える。明治の旧民法を参考にした上で、どのように家族制度が変容していったのかを述べたい。
明治の旧民法に表れる家の規範は、武士などの家父長的家族制度を模倣したものであるが、しかしながら、実際には引き継がれていないものがある。
儒教的「考」の規範では、祖先祭祀を祭り、家の存続を第一に考えたものである。ここでは「考」を支える「恩」との関係が軸にある。「恩」とは、養育の恩、結婚の恩、相続の恩などである。以上のような「恩」に対して子が背負う「考」とは父母を敬うこと、家を拡大すること、親を養うこと、そして子を作ることである。
ここにおいて疑問がある。それは、なぜ今日の婚姻は一夫一婦制であるか、ということだ。事実、家父長的家制度の家では、妾などを容認していたし、孝行という規範意識の中では、結婚外の男女の仲は、それ自身が反倫理的性格を持つものではないのだ。なぜ、旧民法では、西洋に見られる一夫一婦制を採用したのだろうか。すなわち何故、直系にこだわるのだろうか。
第一に、明治以降の工業化によって、民衆の生活様式が変化したことに由来する。また同時に、国家統一の要求が高まり、その結果「家」にこもった道徳ではなく、家を超えたソトの道徳が殊更に強調されるようになった。この結果、孝行といった道徳的な意識はますます希薄になり、代わりに「人類の自然の情」としての親子の愛情を説くといった方向に進んだのだ。「恩」を返すというよりも、愛情中心的な意識を持つようになったことで、「孝行」という規律意識に裏付けされた一夫多妻制度が弱まったと考える。
第二に、天皇制の維持である。家父長、という言葉は元来西洋的な意味付けを持ち、その意味は日本における家の長ではなく、地域の長の意味である。すなわち天皇制においては、家族国家間イデオロギーとも言うべきものが存在する。一国を一家になぞらえることで、家族への心情を増大すれば、愛国に至るというイデオロギーである。ここにおいて一夫一婦制というものは、幸福を家庭の中に囲い込むということであると言える。つまり、妾や売婦といったものは家庭と幸福の関係では悪であり、幸福を分散させる要因である、ということだ。また同時に、子に父性というのを強く意識させねばならない。その意味で、一夫一婦制というのは合理的な政策である。
これらからは、非常に政策的な家族像が伺える。一夫一婦制というのは非常に合理的な政策であったし、今日においてもロマンチック・ラブなどのイデオロギーとして深く根付いているのである。