近年、世界中に日本語に対する人々の関心が高まっている。書籍やテレビ番組などでも日本語について積極的に取り上げられ、空前の「日本語ブーム」までと言われている。そのような中で、「日本語の乱れ」の言葉を耳にする機会が増えてきた。これは日本語を正しく使えていないという批判である。しかし、「乱れ」と呼ばれる言葉のほとんどには、何らかの社会的あるいは言語的な背景が存在し、ある程度納得の行ける説明ができる。
そこで、果たしてそれは本当に「乱れ」なのか、という疑問を持った。言葉の「乱れ」とは、正しいとされる言葉が存在し、その基本や基準に比べ、離れていると考えるもので、誤用とされる。一方、「ゆれ」とは言葉の過度期の中で、ある一つの形式に対する複数の形の違う言葉が、同一の場面で混在して使われることをいい、どれか一つが正しいというものではない。ここで、本稿では、「ゆれ」という言葉を用いることにし、この「ゆれ」について調べてみようと思った。
日本語の「ゆれ」には、漢字や送り仮名の表記、敬語の使い方、「ら抜き言葉」などの種類があり、他にもたくさんある。その中も本稿では、近年増えつつある「やる」、「あげる」の問題について扱いたい。
日本語のゆれ
—「やる」と「あげる」を中心にー
はじめに
近年、世界中に日本語に対する人々の関心が高まっている。書籍やテレビ番組などでも日本語について積極的に取り上げられ、空前の「日本語ブーム」までと言われている。そのような中で、「日本語の乱れ」の言葉を耳にする機会が増えてきた。これは日本語を正しく使えていないという批判である。しかし、「乱れ」と呼ばれる言葉のほとんどには、何らかの社会的あるいは言語的な背景が存在し、ある程度納得の行ける説明ができる。
そこで、果たしてそれは本当に「乱れ」なのか、という疑問を持った。言葉の「乱れ」とは、正しいとされる言葉が存在し、その基本や基準に比べ、離れていると考えるもので、誤用とされる。一方、「ゆれ」とは言葉の過度期の中で、ある一つの形式に対する複数の形の違う言葉が、同一の場面で混在して使われることをいい、どれか一つが正しいというものではない。ここで、本稿では、「ゆれ」という言葉を用いることにし、この「ゆれ」について調べてみようと思った。
日本語の「ゆれ」には、漢字や送り仮名の表記、敬語の使い方、「ら抜き言葉」などの種類があり、他にもたくさんあ...