日本中世史 第1回(1)「鎌倉幕府の守護について」 評価B 2010

閲覧数2,590
ダウンロード数3
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    日本中世史 第1回(1) 鎌倉幕府の守護について述べよ。」のレポートです。評価はBでした。2010年の問題です。参考にしてください。

    タグ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    日本中世史
    二〇一〇・〇六・一五
    第1回 (1) 鎌倉時代の守護について述べよ。
    鎌倉時代の守護は、一一八五年、文治元年における勅許から始まると考えられる。それは勅許の内容が地頭と惣追捕使を設置することであり、この惣追捕使が後の守護となったと考えられるからである。追捕使は平安時代に置かれた令外官であり、凶賊を取り締まることを任務とする臨時の地方官であった。しかしその後時代を経るにつれ常置されるようになり国司、郡司の子弟の中からその任が選ばれ、ほかに中央から特別に派遣される場合もあった。
    文治元年の惣追捕使は地頭とともに各荘郷、国におかれ、平家の残党狩り、源行家・義経の捜索といったことがその職掌であった。守護という呼称がいつから使われていたのかは不明であるが、追捕使である守護の職掌が大犯三箇条にみられる、謀反人・殺害人の検断と大番催促であったことはわかっている。守護が国守の代わって国内の重罪人の検断権と国内の軍事指揮権の起点ともなる大番催促権を掌握したことは、国家の地方支配体制上の軍事・警察権が公家政権から幕府の手に移ったといえる。
    鎌倉幕府は頼朝と御家人の直接的な主従関係が軍事組織の根...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。