佛教大学通信教育課程の合格レポートになります。数年に一度設題が変わりますが、直近の設題に沿って書いてあるため、最新かと思われます。
【説題】50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括すること。また、人権(同和)教育の意義と学校における人権(同和)学習のあり方を具体的に論述すること。
戦後(1945年以降)の同和教育史を概括する。
1946年に「部落解放全国委員会」結成、日本国憲法発布された(11条,13,14,26-1項)。
1951年には、京都市の職員が雑誌「オールロマンス」に、同和地区の人々を極めて差別的に描写した小説「特殊部落」を寄稿した「オールロマンス事件」が起こった。この事件で部落解放委員会は、市行政が部落の劣悪な状況を放置していたことが、差別を助長する大きな原因であると、行政の責任を指摘した。この結果、京都市は部落対策の総合計画を作り、同和行政推進のための積極的施策を行うようになった。この事件が以後の地方公共団体の、同和行政への取組を推進させるきっかけになったといわれている。
1955年には、「部落解放全国委員会」が発足。(後に「部落解放同盟」と改称された)。
1965年には、「同和対策審議会答申」=同和対策の基本方針を示す最重要答申が発表された。
1969年には、同和対策事業特別措置法」が10年間(後に3...