教育学のレポートです。いじめ問題について私見を述べています。
最近ちまたでいじめ問題が取りざたされている。去年の滋賀県の自殺した生徒の問題に端を発しているのだろうか。いじめは、皆さんご存知のように、昔からあるものであり、現在も人知れず行われているものであり、これから未来永劫、理想論を抜きにすれば、無くならないものである。私自身、小中高で、いじめの現場に遭遇し、あるときは加害者に、あるときは被害者になっていた経験がある。ここで私なりのいじめ加害者と、いじめ被害者の定義をしておこうと思う。加害者というのは、被害者がこの人にいじめられたと思えば、その時点で加害者であり、被害者は、自分がいじめられていると、感じた時点で被害者となると言うのが私の持論である。よく、いじめたつもりはなかったとか、普通になかよしだったのにと、加害者と目される生徒たちの中でこのような発言がなされているが、加害者側というのは、悪意の有無にかかわらず、被害者がいじめられたと思えば、その生徒たちは、いじめに参加していたのである。
話を元に戻そう。タイトルに書いたように、いじめというものは、世の中で生きていけるようなつまらない大人を育てる世の中の仕組みだと私は考える。これを説明するため...