設問:「霊山の釈迦のみまへにちぎりてし真如くちせずあひ見つるかな(行基)」「かびらゑにともにちぎりしかひありて文殊のみかほあひ見つるかな(婆羅門)」の贈答歌を解釈せよ。
テキスト:仏教文学概説、佛教大学通信教育学部
「霊山の釈迦のみまへにちぎりてし真如くちせずあひ見つるかな(行基)」「かびらゑにともにちぎりしかひありて文殊のみかほあひ見つるかな(婆羅門)」の贈答歌を解釈せよ。
「霊山の釈迦のみまへにちぎりてし真如くちせずあひ見つるかな(行基)」「かびらゑにともにちぎりしかひありて文殊のみかほあひ見つるかな(婆羅門)」の贈答歌を解釈するにあたって、まずは作者二人の生い立ちや人物像について見てみることとする。
行基は、奈良時代の僧である。天智天皇7年(668)河内国大鳥郡蜂田郷(のちの和泉国、大阪府堺市)の母方の家に生まれ、天武天皇11年(682)に出家し、「瑜伽師地論」「成唯識論」をすぐ了解した。慶雲元年(704)生家を清め家原寺とし、布教と開発を展開し、「化を慕ひ追従する者はややもすれば千を以て数ふ、(中略)弟子らを率ゐてもろもろの要害の処に橋を造り陂を築く、(中略)時人は号して行基菩薩と曰ふ」とある(原漢文、『続日本紀』)。彼の布教に対し養老元年(717)の詔は、「妄りに罪福を説き、朋党を合はせ構へ、(中略)余物を乞ひ、詐つて聖道を称し、百姓を妖惑す」(同)といい、僧尼令違反とし布教を禁圧した。...