英仏百年戦争の歴史的意義

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    資料紹介

    百年戦争前のイギリスでは、ノルマン朝以来王権が強く、プランタジネット朝の下で行政制度の改革が行われ、さらに王権が強化されていた。プランタジネット家は、血統の関係でイギリス王位についたが、フランス国王の臣下・アンジュー伯でもあったので、フランス西半分をも領有していた。しかし、13世紀はじめジョン王は、フランスとの戦いに敗れてフランス国内に持っていた領土を失い、また教皇から破門される失政を重ねた。そのため、重い課税負担に不満を感じていた貴族は、国王に反抗して1215年マグナ-カルタを認めさせ、聖職者・貴族・都市の権利を部分的に承認させた。しかし、次の国王ヘンリ3世はマグナ-カルタを無視したので、貴族たちの指導者だったシモン-ド-モンフォールは、1265年、聖職者・貴族に、都市・州の代表を加えた会議を招集した。1295年にはエドワード1世の下で模範議会が開かれ、14世紀半ばには二院制議会の基礎も築かれた。

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    「英仏百年戦争の歴史的意義」
     百年戦争前のイギリスでは、ノルマン朝以来王権が強く、プランタジネット朝の下で行政制度の改革が行われ、さらに王権が強化されていた。プランタジネット家は、血統の関係でイギリス王位についたが、フランス国王の臣下・アンジュー伯でもあったので、フランス西半分をも領有していた。しかし、13世紀はじめジョン王は、フランスとの戦いに敗れてフランス国内に持っていた領土を失い、また教皇から破門される失政を重ねた。そのため、重い課税負担に不満を感じていた貴族は、国王に反抗して1215年マグナ-カルタを認めさせ、聖職者・貴族・都市の権利を部分的に承認させた。しかし、次の国王ヘンリ3世はマグナ-カルタを無視したので、貴族たちの指導者だったシモン-ド-モンフォールは、1265年、聖職者・貴族に、都市・州の代表を加えた会議を招集した。1295年にはエドワード1世の下で模範議会が開かれ、14世紀半ばには二院制議会の基礎も築かれた。
     一方、王権が弱く典型的な封建体制にあったフランスのカペー朝では、12世紀末から王権が伸張した。フィリップ2世は異端のアルビジョワ派の討伐を通じて南フランス...

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