この男尊女卑の思想は日本では古くから普通のこととして考えられてきており、「男が女を殴るのは当たり前なのだから我慢すべきだ」「他人に口外するなど家の恥。夫の面子(めんつ)を潰すつもりか」などという家父長制度とも密接に絡み合った昔からの男尊女卑の思想が女性を雁字搦(がんじがら)めにしており、どんなに酷い暴力の最中(さなか)にあっても、なかなか他の人に相談できなくさせているのが現状である。
一般の新聞などで取り上げられているDVの事件では被害者の回復までを知ることは出来なかったため、梶山寿子(すみこ)氏の『女を殴る男たち DV(ドメスティック・バイオレンス)は犯罪である』という著書の中の事例を参考にしたいと思う。偶然にもこの事例の被害者の女性は私と同じ名前であり、被害者の恐怖心は読んでいる私にまでも十二分に伝わってきた。
筆者の友人である香澄は大学卒業後、男性と肩を並べて働こうと就職したが現実は予想以上に厳しく、日ごとに増すストレスの中、彼女は半ば自暴自棄になって結婚を急ぎ、相手の男性もまた、香澄に結婚を急かした。結婚に至るまでの交際はたった四ヶ月と浅く、結婚後に度を越した嫉妬深さやお酒を飲むと荒れる事が分かった。結婚後すぐに暴力は潜在化し、友達の家に逃げ込んだ事もあったが、深夜でも執拗にチャイムを鳴らし、喚き散らし、玄関のドアを力任せに叩いたり殴ったりし続け、さらには留守番電話に延々と耳を覆いたくなるような罵詈雑言や脅迫めいた怒鳴り声を録音し続ける夫に怯え、離れて行った友人もいた。
香澄の身体はいつも痣だらけであり、首を絞められて殺されそうになった事もあった。離婚手続きを念頭に置き、病院に診断書を書いて書いてくれるよう頼んだが、医師は軽蔑するような笑みを浮かべて「今日は書けません」と突き放した。
DVが被害者に及ぼす影響
DVという単語で表されるドメスティック・バイオレンスという言葉は、最近になって急によく耳にするようになった言葉の一つである。けれどこのにある男尊女卑の考えは、遥か昔、旧約聖書の時代から既に人々の中に潜在的にあったものなのかもしれない。
河合隼雄氏は『とりかへばや、男と女』という著書の中で、アダムという男のあばら骨からイヴという女を作ったことについてこう語っている。
女性が産む力を持っていることは、古代人も知っていた筈である。では女から男が生まれるのではなくて、その逆のような奇妙な神話が出てくる根拠は何か。
人間が言語を使用し、意識が確立してくるとき、それまでの「産み出す性」としての母性優位のイメージに対する反動として、男性優位の神話が生じてきたと考えられる。たとえば、日本の神話でも重要な神々はイザナギという父親か生まれており、母から父への重点の移行が認められる。(中略)
次いで、人間を精神と身体に分け、精神は身体よりも優位、あるいは高尚であるとする考え方が登場する。精神には男性像が、身体には女性像が当てはめられ、男尊女卑の構造ができ上がっ...