日本近世史 第二回(1)「内憂外患の時代と復興意欲」 評価B 2010 ★28Pの長文です。(寛政の改革以後からペリー来航の阿部政権を網羅してあります。

閲覧数2,747
ダウンロード数0
履歴確認

    • ページ数 : 28ページ
    • 会員1,650円 | 非会員1,980円

    資料紹介

    第二回(1)「内憂外患の時代と復興意欲」のレポートです。28Pもの長文になり、寛政の改革以後からペリー来航の阿部政権を網羅してあります。しかし長すぎて評価は残念ながらBでした。2010年の問題です。参考にしてください。

    タグ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    日本近世史
    2010/11/03
    第二回(1)内憂外患の時代と復興意欲
    寛政五年(1793)七月、老中松平定信は幕政改革の途中で隠退し、幕閣を去った。しかし、定信とともに改革を推進してきた幕府の首脳陣は健在で、なかでも松平信明は老中首座として二六年の間、幕政を担当した。彼は大胆な新政策よりもすでに敷かれた路線を保守していくことに注力した。
    この時期、外からは北方の脅威が迫り、内には米価低落に伴う財政問題が幕政の危機として顕在化したが、幕府は一貫して緊縮財政を維持したため、北辺の大名による蝦夷地警衛、諸大名への囲米の強制、土木普請への大名助役など、諸藩に対する課役負担が強化され、藩幕間にあらたな問題をもたらしている。
    文化期(1793~1817)…寛政の改革を継承する松平信明(1793~1817)の時代
    文政期(1818~1829)…そこからの転換を図る水野忠成(1817~1834)の時代
    (外)根室に来航したラクスマンに長崎入港の信牌を与えたのは、定信が辞任する一ヶ月前の同年六月であったが、その後ロシアの南下政策が具体化し、北辺の危機が現実のものとなってくると、幕府もその対応策を迫られ...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。