焼肉 アジ文レポート

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    資料紹介

    資料の原本内容

    はじめに
     今の日本の食文化にはさまざまな国の食文化が入り混じって定着している。すぐ隣国の朝鮮半島の食べ物も、多くのものが身近に見られる。例えばキムチであり、焼肉であり、冷麺である。食生活の形成には住むところの自然環境と社会環境が大きな要素となるが、宗教も大きく関わっている。そこで今回は焼肉をテーマとして、朝鮮半島の儒教社会と食文化、そして日本との関わりに迫ってみたいと思う。
    焼肉料理とその起源
     日本には焼肉料理店が2万3千店舗ほどあると見られている。焼肉料理が日本に定着したのは、戦後のことで、昭和三十年代を境に急速に広がり、日本の食生活に大きな変化をもたらした。その料理のルーツは遠く中央アジアの遊牧民の生活にある。中央アジアの草原地帯で生活する人たちは、生きるための知恵として、人間が食用にできない草を動物に食べさせ、その動物の肉を食用にするという生活文化を作り上げる。一般に牧畜文化といえば、肉食文化と受け止められがちだが、牧畜文化の中心は乳の利用である。乳は生のままだけでなく、発酵させてヨーグルト、チーズ、酒類などに利用する。乳の出ない幼い雄や出尽くした雌は利用価値が低いので、肉料理になる。そこで得た肉を、焼く、煮る、漬けるなどの工夫を凝らした生活文化は、草原の牧畜民の知恵として周辺へと伝わっていったのである。畜肉を焼いて食べる焼肉料理法も、この牧畜民、遊牧民を生活から生まれたものが伝播して変遷を遂げてきたものなのである。
    仏教と肉食
     朝鮮半島に仏教が伝来したのは、四世紀ごろからで、それ以前は仏教の戒律による殺生の禁止は無かった。最初に朝鮮半島に定着したとされるメツク族は中央アジア系の牧畜を主とする民族であった。当然、家畜を料理することが得意だったと推測される。
     そしてこの地に仏教が伝わり広がり、朝鮮半島全土は仏教国となり、食生活も仏教文化の枠にはめられる。百済では599年に殺生禁止令を出すが、動物の殺生はもちろん、狩猟や鷹を飼うことも禁じられた。高麗政府は968年と988年に屠殺禁止令を出している。肉食の禁止が難しかったことを意味しているといえる。
    モンゴルの支配と肉食の復活
     1231年にジンギス・ハーンの帝国、モンゴル族が朝鮮半島に攻め入ってくる。やがて支配者となったモンゴルは彼らの必要な家畜数を高麗政府に要求するが、それを満たすのは難しかった。彼らは単なる耕作用の牛が必要だったのではなく、食料としての牛肉が欲しかったのである。やがて気候が温暖で牧畜に適した済州島を拠点とした大規模な放牧がされる。こうして戦闘用、農耕用(共にあとでは食用)の家畜の大量生産が始まる。高麗では、仏教の戒律で殺生と肉食は禁じられていたが、支配者のモンゴル族は肉を食べる。これに従うように肉を味わうことが暗黙のうちに広がり、肉食が復活することとなった。
    儒教文化による食生活の変化
     モンゴルによる高麗支配は130年あまりで終わり、モンゴル族はいなくなるが食生活は逆戻りしなかった。さらにその後に成立した李氏朝鮮(李朝)政府は仏教を排し、儒教を崇める崇儒排仏政索をとる。肉食のタブーは解け、肉食文化の幅は広がっていくこととなった。料理方は、生もののフエから、煮る、蒸す、焼く、干すなどと多様化する。利用部位も内臓はもちろん、頭のてっぺんからつま先まで料理する。この知恵が広く一般家庭に広がり、各家庭の常識となっていく。
    日本における焼肉
     日本列島は八世紀の奈良時代から仏教国家となり、殺生の禁止、肉食のタブーが明治まで続いた。明治初期に肉食が奨励されるようになるが、すき焼き、しゃぶしゃぶの類が牛肉料理として根をおろした程度である。
     こうした中に朝鮮半島での食生活を身につけた人が移住してきたのである。1945年、日本の敗戦時に朝鮮人は200万人を超えた。日本は食べものが極度に不足していて、餓死者も絶えなかった。当時、肉類は当然自由に売買できない統制品であった。しかし肉食文化の歴史の浅い日本では内臓はその範囲外で、朝鮮人は牛や豚の内臓類を入手し、商売を始めたのであった。戦後の闇市にこれらの内臓を食べさせる店が出現し、店主の多くは朝鮮人だった。今日の日本の焼肉料理の隆盛の発端はここにある。
    現在の焼肉
     いま日本の焼肉料理を外来の食文化として認識している日本人はどれだけいるのだろうか。東京の調理専門学校で行った朝鮮料理についてのアンケートによると、焼肉を朝鮮料理だと認識している若者は年々少なくなっており、1990年当時では全学生の五分の一にも満たない。もし今このアンケートを若者を中心に行ったとすると、さらに人数は減少することだろう。僕自身も、焼肉は日本料理であると思っていたし、驚きを隠せない。近年のスーパーでは焼肉の肉売り場のないところはないし、焼肉のタレは今や数え切れないほどの種類が売り出されている。「牛角」や「風風亭」、「チファジャ」などの大手の焼肉店も増え、街を歩けば必ずといっても良いほど焼肉店を見かけることができる。それほどまでに焼肉は日本に浸透した。焼肉はもはや日本料理といっても差支えがないほどまでに当たり前のものとなったのだ。
    まとめ
     焼肉料理とその起源には、宗教やモンゴルによる支配が関わっていたことなど、今回このレポートを書いてみて、初めて知ることができた。日本は多文化の入り混じった国だとは前から思っていたが、焼肉ひとつをとってみても、このような複雑な歴史があることに驚いた。韓国のプルコギと、日本の焼肉はまったくの別物だと思い込んでいたからだ。僕と同年代の若者も同じように捉えていると思う。日本の食文化にはまださまざまなルーツを隠し持っているものがあるようだ。
    鄭 大声(1992)食文化の中の日本と朝鮮 講談社
    (1998)朝鮮半島の食と酒-儒教文化が育んだ民族の伝統 中央公論社

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