竹内逸夫が述べているように、「綴り方という教科について、学校も教師も本腰を入れていな」い過去があった。山形県の中学生によって綴られた文集として有名な『山びこ学校』の編者、無着成恭自身も、ある時まではただ漫然と綴り方を書かせてきただけであったと自己を顧みている。目的のない綴り方から、現実の生活について討議し、行動までも推し進めるための綴り方へと転換していったのだと言う。社会科的な、真の生活を発見させる一つの手がかりとして、言わば綴り方を見つめ直したということだろう。その点で、ここに見られる文や詩は、生活を見直す出発点として書かれたものであり、一つ一つが問題を含み、教室の中で吟味されていくことを前提としたものであったのかもしれない。では、このような綴り方を、その文からどのように発展させていくのだろうか。『山びこ学校』から、河合義憲の「くぼ」を用いて、検討してみたいと思う。
竹内逸夫が述べているように、「綴り方という教科について、学校も教師も本腰を入れていな」い過去があった。山形県の中学生によって綴られた文集として有名な『山びこ学校』の編者、無着成恭自身も、ある時まではただ漫然と綴り方を書かせてきただけであったと自己を顧みている。目的のない綴り方から、現実の生活について討議し、行動までも推し進めるための綴り方へと転換していったのだと言う。社会科的な、真の生活を発見させる一つの手がかりとして、言わば綴り方を見つめ直したということだろう。その点で、ここに見られる文や詩は、生活を見直す出発点として書かれたものであり、一つ一つが問題を含み、教室の中で吟味されていくことを前...