オリオンビールの経営史
アメリカ合衆国統治下の1957年5月18日に、社会経済復興には第二次産業(製造業)を興さなければいけないという志から、当時から名水が湧出していた名護町(現在の名護市)で沖縄ビール株式会社として設立された。当時の資本金5000万B円。1957年5月時点での日本円とのレートは3円 = 1B円だったため、現在は創立時は資本金1億5000万円と表記されることがある。同年11月1日にブランド名を県民に懸賞金付募集広告として新聞で公募を行い「オリオンビール」と名付けられた。ちなみに賞金は1等1万B円、2等3,000B円、3等2,000B円、当時としては破格の高額だった。なお、「募集広告」と「命名決定・賞金授与者」の各告知広告のコピーは名護工場の見学コースに掲示してある。その後、1959年6月に社名も「オリオンビール」に変更した。1959年、生産開始。当初は他の日本の大手ビールの勢力が強く、苦戦するが、製品をそれまでのドイツ風ビールからアメリカ風ビールに切り替えると共に、県内全域で営業活動を行った結果、県内シェア1位となる。1972年本土復帰の際、期限付きで沖縄県内のみ酒税が減免される優遇措置がとられたため、これもオリオンビールに有利に働いた。優遇税率は5年間の時限措置だったが、5年ごとに見直されるだけで延長が繰り返され、現在も県内出荷向けに限り、ビールが本土の酒税と比べて20%軽減されている。軽減額は、2004年度実績でビールが約14億円。当初はビールのみを製造していたが、他のビールメーカーが発泡酒などで攻勢をかける中、多品種のビール、発泡酒、ソフトドリンクなどを発売して応戦し、多品種少量生産となって生産コストが上昇した。また、販路拡大のためには、税の優遇がなく、輸送費がかかる本土への進出が必要になるが、拡大戦略はなかなか進まなかった。そのような中、2002年の酒税優遇措置再延長の議論の際、自民党税調および財務省からの発言で、2007年5月での優遇措置廃止が既定路線となっていた。実際には知事交代により5年間再延長された。優遇措置廃止は即ち価格競争力の低下を意味するため、2002年に大株主でもあるアサヒビールと提携関係を結ぶこととなった。現在は、オリオンビールが沖縄消費分のアサヒビール製品を生産し、アサヒビールが沖縄県外でのオリオンビールの販売を行うようになっている。沖縄県外では沖縄県産品ショップ「わしたショップ」にて購入可能である。