現在の大相撲に残る神道的なものについて書いたものです。
『大相撲に残る神道的なもの』
「相撲は神事である」とはよく言われることである。しかし、日本相撲協会による「大相撲は神事である」となると、少し首を傾げたくもなる。
たしかに大相撲は、単なるスポーツではない。力士の姿にしても、土俵入りにしても、取り組みにしても、もし大相撲が純粋にスポーツであるならば、合理的でないところが多々ある。それは、現在の大相撲が、神事という側面を持っているからなのであろう。だが、大相撲の全てが神を祭る儀礼であるとすれば、疑問はいくらも出てくる。協会や力士の姿勢にしても、周りで騒ぐメディアにしても、彼等の多くは、大相撲が神事だという認識を持っているようには思えない。相撲ファンの多くは、相撲をスポーツの一つだと考えているであろうし、ニュース番組でも、取り組みの結果はスポーツコーナーで紹介される。
しかし一方では、横綱の品格だの、外国人力士の礼儀だの、単なる相撲好きの著名人を集めたとしか思えない横綱審議委員会から、テレビのタレント兼コメンテーターまで、力士や協会に対する苦言は、単なるスポーツに向けられるものではない。
もちろん、興行として成長を続けてきた大相撲に、...