◦レポートのテーマ
学校で学ぶことの意味と、そのあり方
◦テーマ設定の理由
学習・授業論の講義では、「学び」について触れられていたと思うので、このレポートではそれをさらに「学校での学び」と少し狭めて私の考えを述べます。あえて「学校での」という条件にしたのは、今日の子どもたちが「なぜ学ばなければならないのか」という疑問を持つと同時に、「なぜ学校に行かなければならないのか」ということについても疑問を抱いているように思えるからです。私が教員になったときに、それに対する私なりの答えを持っておきたいと思ったので、このテーマにしました。
◦学びとは
今回のテーマについて述べる前に、まず学びの種類について簡単に述べたいと思います。学びには大きく分けて二通りあると私は考えています。一つには、読書や瞑想などによって自分の内面での対話によるもの、もう一方は、他の人との意見の交換や、ディスカッションなどによる自分の外面との対話によるものであります。学びにはこの二つのどちらか一方だけということではなく、どちらも必要であり、両者のバランスが取れていることが肝心だと考えています。
また、哲学者カントは教育について次のように述べています。「人間は教育されなければならない唯一の被造物である」「注意すべきことは、人間は人間によってだけ教育されるということ、しかも同じように教育された人間によってだけ教育されるということである」〔柴田義松、『教育学を学ぶ』、学文社、2000年、7ページ〕さらに教育に関して著者は次のように述べています
学習・授業論のレポート
◦レポートのテーマ
学校で学ぶことの意味と、そのあり方
◦テーマ設定の理由
学習・授業論の講義では、「学び」について触れられていたと思うので、このレポートではそれをさらに「学校での学び」と少し狭めて私の考えを述べます。あえて「学校での」という条件にしたのは、今日の子どもたちが「なぜ学ばなければならないのか」という疑問を持つと同時に、「なぜ学校に行かなければならないのか」ということについても疑問を抱いているように思えるからです。私が教員になったときに、それに対する私なりの答えを持っておきたいと思ったので、このテーマにしました。
◦学びとは
今回のテーマについて述べる前に、まず学びの種類について簡単に述べたいと思います。学びには大きく分けて二通りあると私は考えています。一つには、読書や瞑想などによって自分の内面での対話によるもの、もう一方は、他の人との意見の交換や、ディスカッションなどによる自分の外面との対話によるものであります。学びにはこの二つのどちらか一方だけということではなく、どちらも必要であり、両者のバランスが取れていることが肝心だと考えています。
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