単位を取得済みの合格レポートです。オスマン朝の君主は支配力が強く、トルコ・モンゴルに見られたハーン、古代ペルシアに見られたパーディシャー、イスラーム的なスルタンを統合したような専制君主であった。オスマン朝は組織の帝国と言われ、君主専制、中央集権制はスルタン支配の時代の確立でもあった 。オスマン朝の組織制度はスレイマン一世の時代にほぼ完成し、古典オスマン体制と呼ばれる皇帝専制・中央集権の国家体制に結実した。オスマン朝は西アジアにあらわれたイスラーム王朝の中で、最も完成されたイスラーム国家、と位置付けられることが多い 。
<強力な専制君主制>
オスマン朝の君主は支配力が強く、トルコ・モンゴルに見られたハーン、古代ペルシア
に見られたパーディシャー、イスラーム的なスルタンを統合したような専制君主であった。
オスマン朝は組織の帝国と言われ、君主専制、中央集権制はスルタン支配の時代の確立で
もあったi。オスマン朝の組織制度はスレイマン一世の時代にほぼ完成し、古典オスマン体
制と呼ばれる皇帝専制・中央集権の国家体制に結実した。オスマン朝は西アジアにあらわ
れたイスラーム王朝の中で、最も完成されたイスラーム国家、と位置付けられることが多
いii。
専制君主制におけるオスマンの軍制は、地方に居住し徴税権を委ねられたティマール制
騎兵と、中央の常備軍団(カプクル)からなり、カプクルの人材はキリスト教徒の子弟を
徴集するデヴシルメ制度によって供給された。カプクル軍団の最精鋭である常備歩兵軍(イ
ェニチェリ)は、火器を扱うことから軍事革命の進んだ 16 世紀に重要性が増し、地方・中
央の常備騎兵(スィパーフ)とともに巨大な常備軍に発展した。登用された人材も豊富で、
当初はトルコ系あるいはムスリムのガーズィーやウラマーなど...