部落差別の本質は身分的差別という点にあります。確かに、現在は身分差別を規定する法律や制度はありません。しかし、にもかかわらず、部落民は法や制度としての身分があるのと同じように差別されています。
1871年8月28日、明治政府は太政官布告により「穢多非人等ノ称廃セサレ候条、自今、身分職業トモ平民同様タルヘキ事」という“解放令”を発布しました。これにより江戸時代の被差別民は形式上一応、制度上の身分差別からは解放されることになりました。しかしながら、太政官布告の解放令は形式的なものにすぎなかったようです。それは単に蔑称を廃止し、身分と職業が平民並みに扱われることを宣明したに留まり、現実の社会における実質的な解放を保障するものではなかったのです。当時の政府は華族・士族という新しい支配的身分に対して現金や公債を与えて保護を加えたにもかかわらず、長い間、差別とそこからもたらされた貧困に苦しんできた被差別民の人々に対しては何ら金銭的な補助はなく、また、差別と貧困から解放するための政策も特に行なわれることはありませんでした。それでいて身分が平民同様ということで三大義務(納税・教育・兵役)を負わされ、結果、明治維新後も差別の実態は解消されず、深刻な社会問題として今日に至るのです。
解放令が出された同年4月には国民の動態を把握する必要から戸籍法を公布し、翌1872年2月から初めての全国的な戸籍づくりを実施しました。この戸籍は十二支の壬申の年にあたることから、壬申戸籍と呼ばれることになったそうです。江戸時代の戸籍“宗門人別改帳”が士・農・工・商・賤民という身分別に作られていたのに対し、壬申戸籍は全て住所ごとにまとめられ、華族・士族・平民等の族称や職業・宗教・前科等、その記載内容は詳細を極めていました。そして、戸籍法では第一則に臣民一般とは士族・祠官・僧侶・平民であると明記され、第三二則には穢多・非人等、平民と戸籍が同じでない者は別扱いである旨が規定されています。このことからも明らかなように、壬申戸籍は部落民を平民と別にする考えのもとに戸籍を見れば一目で判別できるように作られていたのです。
部落差別の原因と解決法
部落差別の本質は身分的差別という点にあります。確かに、現在は身分差別を規定する法律や制度はありません。しかし、にもかかわらず、部落民は法や制度としての身分があるのと同じように差別されています。
1871年8月28日、明治政府は太政官布告により「穢多非人等ノ称廃セサレ候条、自今、身分職業トモ平民同様タルヘキ事」という“解放令”を発布しました。これにより江戸時代の被差別民は形式上一応、制度上の身分差別からは解放されることになりました。しかしながら、太政官布告の解放令は形式的なものにすぎなかったようです。それは単に蔑称を廃止し、身分と職業が平民並みに扱われることを宣明したに留まり、現実の社会における実質的な解放を保障するものではなかったのです。当時の政府は華族・士族という新しい支配的身分に対して現金や公債を与えて保護を加えたにもかかわらず、長い間、差別とそこからもたらされた貧困に苦しんできた被差別民の人々に対しては何ら金銭的な補助はなく、また、差別と貧困から解放するための政策も特に行なわれることはありませんでした。それでいて身分が平民同様ということで三大義務(納税・...