ナボコフは「記憶」をモチーフにした作家であるが、『マルゴ』という物語において、その中核であり、もっともそのモチーフが反映されている出来事は、おそらく、アルビヌスの失明であろう。彼は失明した後、マルゴのことを回想し、こう考えている。「追憶の光景だけが、彼の心の画廊をみたしていた。みすぼらしいエプロンをして、紫色のカーテンを片側によせているマルゴ(今となって、彼はどんなにこのきたならしい色をあこがれたことだろう!)、光った雨傘をさして、真赤な水たまりのあいだを小またに歩いているマルゴ、黄色いロールパンをかじりながら、洋服だんすの鏡のまえで裸になったマルゴ。ボール投げをしている、キラキラ光る水着姿のマルゴ、日に焼けた両肩をあらわにした、銀色のイヴニング姿のマルゴ。」また、マルゴの姿を思い描くとともに、過去の自分についてこう考える。「ありとあらゆるもの、たとえそれが彼の過去の生活のなかでもっとも悲しく、もっとも恥ずかしいことであったとしても、欺瞞的で、魅力的な色彩でおおいつくされていた。彼は、以前自分の眼をどんなにわずかしか使っていなかったかに気づき、慄然とした。なぜなら、これらの色彩はあまりにもぼんやりと背景を横切るだけで、それらの輪郭は奇妙なほどかすんでみえたから。
『マルゴ』批評
☆☆☆☆ ○×△太
『マルゴ』にみるナボコフの「記憶」
ナボコフは「記憶」をモチーフにした作家であるが、『マルゴ』という物語において、その中核であり、もっともそのモチーフが反映されている出来事は、おそらく、アルビヌスの失明であろう。彼は失明した後、マルゴのことを回想し、こう考えている。「追憶の光景だけが、彼の心の画廊をみたしていた。みすぼらしいエプロンをして、紫色のカーテンを片側によせているマルゴ(今となって、彼はどんなにこのきたならしい色をあこがれたことだろう!)、光った雨傘をさして、真赤な水たまりのあいだを小またに歩いているマルゴ、黄色いロールパンをかじりながら、洋服だんすの鏡のまえで裸になったマルゴ。ボール投げをしている、キラキラ光る水着姿のマルゴ、日に焼けた両肩をあらわにした、銀色のイヴニング姿のマルゴ。」また、マルゴの姿を思い描くとともに、過去の自分についてこう考える。「ありとあらゆるもの、たとえそれが彼の過去の生活のなかでもっとも悲しく、もっとも恥ずかしいことであったとしても、欺瞞的で、魅力的な色彩でおおいつく...