文字の認識と意味の処理ということを考えた場合、それが最も要求されるのは読書であろう。並んだ文字を読み続けるという、単純作業ともいえる行為である。読書自体は読む人の意志であっても、視覚情報処理そのものというのは、私たちの身体の中で無意識的に行われている。
しかし最近はその情報処理能力を上げようという試みが流行している。いわゆる「速読」である。塾では小学生・中学生を中心に速読講座が設けられ、本屋でも大人向けの速読本が売られている。「速読」の目的はただ文字を早く読み流すのではなく、理解力も内容の把握もまったく落とさず、それでいて読書スピードを上げることである。
「読み」の基礎課程
―文字の認識・意味の処理―
文字の認識と意味の処理ということを考えた場合、それが最も要求されるのは読書であろう。並んだ文字を読み続けるという、単純作業ともいえる行為である。読書自体は読む人の意志であっても、視覚情報処理そのものというのは、私たちの身体の中で無意識的に行われている。
しかし最近はその情報処理能力を上げようという試みが流行している。いわゆる「速読」である。塾では小学生・中学生を中心に速読講座が設けられ、本屋でも大人向けの速読本が売られている。「速読」の目的はただ文字を早く読み流すのではなく、理解力も内容の把握もまったく落とさず、それでいて読書スピードを上げることである。
読むことは、視覚で捕らえられた日本語の形に対応する情報が脳のデータベースから出力されて初めて、「理解」したということが出来る。つまり読書は入力、検出、出力から成ると考えられている。「速読」はそれらの処理工程を速めようというものだ。以下でその仕組みについて探っていこうと思う。
まず入力に関してだが、斎田と池田(1975)の実験から、人間の読書時の有効視野は12字程度と推定されている。ま...