生成概念としての文化――加藤周一の仕事を読む

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『現代思想 7月臨時増刊 総特集 加藤周一』(第37巻第9号、2009年7月)に所収の対談、小森陽一・成田龍一「加藤周一を読むために」がよくできている。先般亡くなった加藤周一さんの仕事を振り返るための視点を提供している。
二人が共通して強調する点は、加藤の知識人としての自覚と言葉へのこだわりだ。小森さんによれば、加藤は「現実認識を現実に即して行うということを望んでいない、あるいはそうしたくないという欲望を抱いている多くの人々に、いわばその欲望に甘んじた形での言葉を提供してしまう知識人に対して、非常に痛烈な批判をしていた」(p. 80)。
言い換えれば、「……同時代のキーワードとして使われている言葉の中に、いわゆる事実に即した歴史認識とは異質な、その社会が欲望しているところの、そしてそれが厳密に互いに理論化された形ではなく共有されようとしている社会的集合記憶があるとして、それがどのように形成され、そしてそのときにキーワードとして使われた言葉が社会的にどういう役割を果たしているか、そこに対する知識人の責任を問うということ」(p. 80)だ。
加藤の代表的な仕事のひとつに日本語論がある...

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