18世紀において、イギリスが他国に先がけて小説を生み出したのは、何故かを考える時に、近代市民社会より現代に至る社会を考察することがポイントではあるが、同時にイギリスの歴史や文化と深い関わりを持っていることも見逃せない視点であると考える。
イギリスは地図上、ずいぶん高緯度に位置していて、冬にはどれだけ程寒いことだろうかと思われる。しかし、実際にはイギリスはメキシ湾流と偏西風の恩恵を受け、同緯度にある世界のほとんどの地域と比べて、はるかに暖かい。
イギリスは、大きく東南部平地と北西部丘陵地という対照的な2つの地域に分けられる。前者は肥沃なパリ盆地の延長と言われ、比較的暖かく、乾燥していて、農耕・交易が盛んである。それに対して後者は寒冷で、湿潤であり、産業や交易は振るわない。当然、東南部には、文化様式・生活様式の変化は激しく、逆に北西部丘陵地は、その変化に乏しく、古い文化様式が維持さえる傾向にあった。
また、日本と同じように島国でありながら孤立せず、大陸の思想や制度・技術などを容易にイギリスに流用することができた。また、島国であるため、大陸の動乱や変革からイギリスを守ったことがイギリスの自由の温床となった。
森林は、貧弱なイギリスも地下資源は多く埋蔵されていた。しかし、なんと言っても石炭と鉄鉱が世界に先駆けて産業の飛躍的発展を成し遂げた。
このようなイギリスの自然や歴史の中で、近代に入ると、エリザベス女王の死後、主権神授説によって国王の神権を主張した。しかし、自営農民出身の産業資本家や都市の商工業者などの中流市民階級が経済的にも有力な存在となっていた。更には、ルネサンスの影響を受け、高い自格と教養とを身につけており、その代表者たちが下院議会において、国王の専制に対抗し、「権利の請願」を提出した。これをチャールズ1世が無視し、圧迫を加えたことにより、清教革命が起こることとなった。
18世紀においてイギリスが他国に先がけて小説を生み出したのは何故かをイギリスの歴史とそれが生み出す社会
18世紀において、イギリスが他国に先がけて小説を生み出したのは、何故かを考える時に、近代市民社会より現代に至る社会を考察することがポイントではあるが、同時にイギリスの歴史や文化と深い関わりを持っていることも見逃せない視点であると考える。
イギリスは地図上、ずいぶん高緯度に位置していて、冬にはどれだけ程寒いことだろうかと思われる。しかし、実際にはイギリスはメキシ湾流と偏西風の恩恵を受け、同緯度にある世界のほとんどの地域と比べて、はるかに暖かい。
イギリスは、大きく東南部平地と北西部丘陵地という対照的な2つの地域に分けられる。前者は肥沃なパリ盆地の延長と言われ、比較的暖かく、乾燥していて、農耕・交易が盛んである。それに対して後者は寒冷で、湿潤であり、産業や交易は振るわない。当然、東南部には、文化様式・生活様式の変化は激しく、逆に北西部丘陵地は、その変化に乏しく、古い文化様式が維持さえる傾向にあった。
また、日本と同じように島国でありながら孤立せず、大陸の思想や制度・技術などを容易にイギ...