「沖縄開発庁」という機関が2000年まで存在した。類似の機関に「北海道開発庁」があるが、目的が異なる。北海道開発庁は戦後の経済復興、人口問題解決、資源の総合的開発など全国的視野からの開発行政を行う機関であるが、沖縄開発庁は教育関係、保健衛生関係予算などを扱う、沖縄の特殊事情に対応するための行政機関であった。
1972年の復帰から現在に至るまで、沖縄のみに適用される法律が多数成立してきた。しかし、そのいずれもが、基地用地を安定的に確保するために機能した。振興開発も基地の代償としての性格を持つものであった。基地があれば自治体にとって財政的に有利であるという状況を作出し、自治体の基地容認を導く立法がなされてきた。つまり、国にとっての沖縄の価値は、基地を負担する地域ということにある。
沖縄問題
沖縄県知事署名等代行職務執行命令訴訟
最高裁大法廷判決
最高裁大法廷平成8年8月28日判決
Ⅱ、事件の具体的内容
1、強制使用の経緯
(1)事件の社会的な流れ
1995年5月8日 村山首相(当時)が強制使用を認定。翌9日、国が米軍用地の強制使用認定を告示
7月 対象米軍施設がある十市町村のうち、那覇市、沖縄市、読谷村を除く七市町村が「代理署名」に応じた。
8月21日 那覇防衛施設局は県に対し、代理署名に応じない市町村に代わって手続き代行するよう要請。
9月4日 本島北部で、米兵三人による暴行事件が発生。
9月28日 大田昌秀知事は県議会で、強制使用手続きに応じないことを表明。
12月7日 村山首相が大田知事を相手に職務執行命令訴訟を福岡高裁那覇支部に提訴。
96年3月25日 福岡高裁那覇支部は、知事は手続き代行に応じるべき、と県敗訴の判決を言い渡した。県が主張した基地被害、平和的生存権などは審理の対象外とした(知事は判決を不服とし上告)。
3月29日 那覇防衛施設局は対象十三施設の強制使用裁決を県収用委に申請。同時に4月1日に使用期限切れとなった楚辺...