産業化と中小企業−広島県熊野町における筆産業の地域産業集積−

閲覧数1,997
ダウンロード数8
履歴確認

    • ページ数 : 4ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    日本経営史
    産業化と中小企業−広島県熊野町における筆産業の地域産業集積−
    近代産業化の流れの中で中小企業の発展には、2 つの現象があった。1 つは、近代向上による大量生産によって川下工程を支えるために中小企業が発展したもの。もう1 つは、様々な近代化による市場の広がりによって機械化とは関係なく、幅広い産業分野で発展が見られたもの、であった。
    最終レポートでは、後者の地域産業集積に着目し広島県熊野町地域の「筆」産業について論じたい。広島県熊野町は現在も人口2 万6,000 人に対して、毛筆約1,500 人、画筆約500人、化粧筆約500 人、合計約2,500 人が筆づくりの仕事をし、全国の筆の8 割を生産、世界市場においても高級化粧筆で6 割近くを生産している、まさに筆職人の地域である。
    機械化が図られなかった産業分野である筆産業がどのように根付き、発展し、近年の競争に対応してきたのかを見るこで、地域産業集積の1 つのパターンについて理解を深めたい。
    ■ ら製造、そして明治維新における市場の拡大
    □ 現金収入を目的とした、出稼ぎから発展−江戸時代−
    熊野において筆産業が興るのは1830 年頃、江戸時代末期であった。熊野周辺は農業主体の地域であったため、農閑期において、吉野(奈良県)やその先の紀州(和歌山県)に出稼ぎに行く村人が多かった。出稼ぎであった奈良の名産は、伝統的に筆や墨であり、それらは全国的に人気の高い商品であった。そこで熊野の人々は出稼ぎ先である奈良で筆や墨を仕入れて、熊野に戻るまでの中間地でそれらを売りさばいて現金収入を得るようになった。熊野の筆産業の始まりは、製
    造ではなく販売であったのである。
    しかし天保年間と弘化年間期に入ると、自ら筆を製造しようとする動きが見られるようになった。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    - 1 -
    日本経営史
    産業化 と中小企業 -広島県熊野町 における 筆産業 の地域産業集積 -
    近代産業化の流れの中で中小企業の発展には、2つの現象があった。1つは、近代向上
    による大量生産によって川下工程を支えるために中小企業が発展したもの。もう1つは、
    様々な近代化による市場の広がりによって機械化とは関係なく、幅広い産業分野で発展が
    見られたもの 、であった 。
    最終 レポート では 、後者 の地域産業集積 に着目 し広島県熊野町地域 の「筆」産業 につい
    て論じたい 。広島県熊野町 は現在 も人口 2 万 6,000人に対して 、毛筆約 1,500人、画筆約 500
    人、化粧筆約 500 人、合計約 2,500人が筆づくりの 仕事 をし 、全国 の筆の 8 割を生産 、世
    界市場においても高級化粧筆で6割近くを生産している、まさに筆職人の地域である。機
    械化 が図られなかった 産業分野 である 筆産業 がどのように 根付 き、発展 し、近年 の競争 に
    対応してきたのかを見ることで、地域産業集積の1つのパターンについて理解を深めたい。
    江戸時代 の小売...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。