50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践の具体的なあり方を論述せよ。
1945年、太平洋戦争に日本は敗れ、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の主導のもと、平和で民主的な国家の建設に向けて歩みだした。そして、1947年5月に「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」を三大原則とした日本国憲法が施行される。
この憲法の14条には「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的・経済的・または社会的関係において差別されない。」と謳われている。この「社会的身分」という文言によって、政府は被差別部落の人々が差別されないという理念を明文化した。ところが、GHQが起草した草案では国籍や民族を問わずすべての人の人権を保障するという内容だったのが、日本政府により変更され、「国民」であることを基礎要件としたため、戦前は認められていた台湾人や朝鮮人の選挙権が奪われることになった。さらに、憲法制定の前日に「外国人登録令」という勅令も出された。これらのことをあわせてみると、戦後の民主主義も民族排外主義的な意味を内...