キリスト教徒は生き方には普遍的な方法や、聖書やキリストを通じて神から人間へ伝えられる価値があるということ理解している。これが意味するのは、ある意味では、すべての人々が神の前では平等であり、それぞれ個人は神の規則に従うべきだということである。王や王妃でさえもそれらの規則には従わなければならない。一方日本では、土着の宗教である神道のもっとも小さな単位は個人ではなく、家族である。神道では個人の存在はただ団体の一員であるときにだけ意味をなすものなのである。仏教でも日本の基本単位として家族が強調されている。そのような日本の宗教における人間関係の重点は、団体としての価値がもっとも大切だということを意味している。従って、社会の価値や規則は神から下されるものでは無い。代わりに、善悪はしばしば団体によって決められるのだ。
私たちがどのように振る舞うべきかなどの、民族の方式やルールはその宗教でも重要な部分である。キリスト教の最も重要な教えの一つには、神はすべての者を愛し、個人として私たちは神を愛し、互いを愛するべきである、というものがある。これは私たちはすべての人を公平に平等に扱うべきだという事を意味し...