第二次世界大戦が終了し、国際連合の発足とともに人類は世界平和を目指して動き始める。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となったという反省に基づき、教育も「国際理解」と「国際協力」を中心に考えられるようになった。特に「国際理解」については、人権尊重と他国・他民族・多文化の理解が重視され、より力が入れられてきたのだが、1974年、第18回ユネスコ総会において発表された「国際理解、国際協力および国際平和のための教育並びに人権および基本的自由のための教育勧告(国際教育勧告)」によって大きな進展をみせる。
この「国際教育勧告」は、ユネスコにおけるそれまでの国際理解教育に関する多様な概念をその時点で総括したもので、なぜ今までの「国際教育」と大きく異なっていたといえるのか。それには次のような理由がある。
(1) 国際理解・国際協力・国際平和の三概念に、人権・基本的自由の二概念(貧困・飢餓、環境問題、人口、人権侵害等)を加え、これらは根本的に不可分であるというユネスコの立場を象徴したこと。
(2) こうした世界的課題の解決、さらには国際理解を阻害する要因(新植民地主義、ファシズム、人種差別等)の解決とその克服に向けて、参加、行動することを強く呼びかけたこと。
(3) 「国際教育」の基軸を国家から人間に移し、世界的公民の育成を志向したこと。
この新しい「国際理解教育」は、日本国憲法と教育基本法の精神を大切にした教育関係者の間で大きく期待され、人権尊重を中心とした数々の実践を重ねていった。
日本型国際理解教育について
第二次世界大戦が終了し、国際連合の発足とともに人類は世界平和を目指して動き始める。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となったという反省に基づき、教育も「国際理解」と「国際協力」を中心に考えられるようになった。特に「国際理解」については、人権尊重と他国・他民族・多文化の理解が重視され、より力が入れられてきたのだが、1974年、第18回ユネスコ総会において発表された「国際理解、国際協力および国際平和のための教育並びに人権および基本的自由のための教育勧告(国際教育勧告)」によって大きな進展をみせる。
この「国際教育勧告」は、ユネスコにおけるそれまでの国際理解教育に関する多様な概念をその時点で総括したもので、なぜ今までの「国際教育」と大きく異なっていたといえるのか。それには次のような理由がある。
(1) 国際理解・国際協力・国際平和の三概念に、人権・基本的自由の二概念(貧困・飢餓、環境問題、人口、人権侵害等)を加え、これらは根...