『50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践のあり方を具体的に論述すること。』
1.はじめに~同和とは相和すること
同和という言葉を聞くとき、わたしは「相和する」という動詞がすぐに頭に浮かんでくる。同和教育というと部落差別問題がその中心になろうかとは思うが、根本はやはり人間が「相和」し、相互に認め合う社会を作り上げていく、というところにあるのではないだろうか。
本レポートでは人間がいかに「相和」し、子どもたちがいかに「相和する」子どもになっていくか、ということに重きを置いて論を進めたいと思う。
2.戦後の同和教育史~京都市の取り組みを中心に
戦後の混乱も終息しはじめたころ、部落は戦前の劣悪な環境のまま放置され、民衆の部落に対する差別意識も戦前と変わらない状況であった。また教育面では、部落の児童・生徒の長期欠席・不就学が大きな問題として取り上げられるなど、戦後の民主化の改革は部落問題の解決までには至ってはいなかったのである。
そのような中、戦後の部落解放運動の大きな転機となったのが1951年に京都市で起こった「オール・ロマンス事件」(京...