労働者としての日本女性の近代史について書きました。
労働者としての日本女性の近代史
「男は作(農作業)をかせぎ、女はおはた(機織り)をかせぎ、夜なべをし、夫婦ともにはたらけ。―以下省略―」
これは、江戸幕府が成立して間もない1649(慶安2)年に、幕府がだした「慶安のおふれ書き」の一部である。この当時幕府の支配体制はまだかたまっていなかった。幕府にとってなにより大切なのは、百姓がひたすら生産に励み、自分たちの最低の食い扶持を残して、残りは残らず年貢として差し出すという仕組みを作ることであった。「百姓とごまの油は絞れば絞るほどでる」といわれたとおり、百姓は「年貢を作る道具」でしかなかった。そしてこのお触書の一節が物語るように、農民の妻や娘たちもまた、その道具が、もっとたくさん年貢を作り出すよう働くのを助けるための道具としか見られなかった。
封建社会のもとでは武士の娘は「子を生む道具」として、農民の娘は「年貢を作る道具」とそれぞれ同じように道具として扱われていたが、武士と農民の女性のあいだには大きな違いがあった。武士の女性は自分でものを作ることを知らず、父や夫の言いなりになるより他に生きるすべを知らなかったが、農民の女性たちは、厳しい...