当時のインドは至って思想の自由と発表の自由があった。反ヴェーダ、反バラモンの気運が高まった上に、その思想から逃れようとして、新たな思想が発生しやすく、それが受け入れられやすい時代であった。ブッダの登場、受諾はいわば必然とも言える。思想対立が高まる中で、インドで初めて懐疑論を説いたのがブッダとされる。バラモンの思想からしても、来世は当然存在するものとされていたのに対し、それに疑問を唱える(懐疑論)上で、判断停止をブッダは唱えた。つまり、来世が存在するとは言い切らないが、来世が存在しないともいわない、そのことについて考える事を止る。言葉にすると、不可知論となる。
しかし、判断を不定とするだけで、現在の物理学のように真理そのものを不定としたわけではない。真理は一つとして存在するというのもブッダの取っていた立場である。では、
■■■■■第■回出題■レポート
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ブッダ成立の背景と思想について
ビデオでは仏教の始まり、それよりはブッダの始まりについてやったわけだが、そのビ
デオだけでは疑問点は多い。何よりもまず、何故ブッダの思想が求められたのか、何故ブ
ッダはその思想に至ったのか、それが疑問でならない。この疑問を解くのは仏教思想全体
に関わる事のようで、簡単な事ではないだろうが、そのさわりだけでも求める事ができれ
ばと思う。
当時のインドは至って思想の自由と発表の自由があった。反ヴェーダ、反バラモンの気
運が高まった上に、その思想から逃れようとして...