「戦後日本経済史」を読んで

閲覧数1,707
ダウンロード数20
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 全体公開

    資料紹介

    資料の原本内容

    野口悠紀雄 『戦後日本経済史』(新潮社)
    要約
    著書の展開としては、日本において戦後から現在までに起こった経済的な出来事(高度経済成長、バブル崩壊、金融危機など)で日本政府や各金融機関がとった行動について筆者の大蔵官僚時代やアメリカ留学などの経験に基づき、通説で語られるような歴史観とは異なった見地から相対的に批評するものである。
    筆者が一貫して述べている主張は戦後から現在に至るまでの日本における経済体制は戦時経済体制であるというものである。ここで述べられている戦時経済体制とは日本が戦時中にとったもしくは戦前から構想されてきた経済体制のことであり、具体的には金融統制、間接金融、資本と経営の分離や企業別労働組合及び労使協調などをいう。
    これらの戦時経済体制は戦後直後から高度経済成長を成立させる過程において効果を発揮した。その時期に戦時経済体制を中心とする日本企業の行動原理が確立され、その後に影響を残すことになる。石油ショックにおいても戦時経済体制の一つである労使協調路線が良い方向に働いた。石油ショックは、戦時体制を温存させたばかりではなく、強化する結果となった。しかし筆者はその戦時経済体制の維持がバブルの基本原因となったと批判している。また、石油ショックが収まり、経済の国際化が進む中で戦時経済体制が不必要となったことを見抜けなかった大蔵省にも問題があると批判する。
    金融危機に関しては、山一證券は「経営しない経営者」による、“何もせず解決するのを待つ”という「日本の会社」の典型例だと指摘し、それは外部環境が大きく変化したときには対応できないという重大な欠陥を内包していたために山一證券は破綻に追い込まれたのだと述べた。
    そして筆者はこれらの日本企業や政府における戦時からの経済体制が現代の分散型情報システムの下では機能しないにも関わらず未だに改善されないことが最大の問題だと指摘している。
    金融政策
    筆者の考えとしては、日本の経済システムが戦後から続く社会主義的なものから市場の影響を受けやすい市場経済へと移行することを求めている。つまり政府に関して言えば、できる限り市場をコントロールすることなく規制緩和を推し進める程度に政府の役割を限定することであるといえる。
    同時に筆者は金融危機の時に銀行へ40兆円もの公的資金が注ぎ込まれたのをふまえて政府の市場への大幅な介入を否定している(p.p248-249)。
    しかし公的資金の注入は必ずしも否定されるわけではない。確かに40兆円もの公的資金は莫大なものであるが、政策的には、銀行が潰れることによるコストと公的資金の注入によるコスト(国民への負担)とを天秤にかけて考えなければならない。このとき銀行が潰れるコストのほうが大きい時に公的資金の注入はやむをえないと考えられる。しかし、当然ながら銀行がつぶれても多額の公的資金が注入されても、いずれにせよ莫大な経済的被害が迫るのである。
    では何故、政府は公的資金の注入を方針として選んだのか。もちろん銀行が潰れるコストが他方と優位な差があるときはその決定に選択の余地はないが、もし二つのコストが拮抗していたとしたら何故公的資金が注入されたのであろうか。その選択の理由の一つとして、国民の意識が考えられるのではないだろうか。例えば銀行が潰れたとしたら国民にとってその経済的な危機感ははかりしえないが、公的資金の注入の方法次第では国民には間接的に負担がかかるだけで目に見えた経済的危機を感じさせずにすむのである。つまり国民に大して意識させることなく危機を迎えることができ、社会に乱れを起こすことなく経済の回復を待つというものである。つまりとりあえずその場を凌ぐという山一證券の経営陣と同様の方向性をもった考え方である。そして、現在の日本の経済状況はそれほど回復したとは言えないのではないだろうか。つい最近まで景気が良くなっていたといえども、国の借金は今も増え続けている。もしかすると山一證券のように、われわれ国民の知らぬ間に日本経済の終わりが間近まで来ているのかもしれない。
    アメリカ経済
    著書の第8章金融危機を読んでいた丁度その時、ニュースのトピックに「リーマン・ブラザーズ破綻」という文字が掲げられていた。あまりのタイミングの良さにとても驚いた。著書においてリーマン・ブラザーズは、戦時経済体制から脱却していない大手日本企業と対比される企業の一つとして挙げられていたのである。つまりリーマン・ブラザーズは市場からの圧力を受けながら「為替や債券の取引で巨額の利益を得る」ことに成功した投資企業だったのである(P.221)。それが20年足らずで破たんというわけである。もし絶頂期であった20年前のリーマンに24歳で就職したとしたら40代半ばで失業である。まさに一寸先は闇、美人薄命だ。
    そもそも日本は産業革命時にイギリスを追いかけたのと同様に、経済的にアメリカを追いかけるべきなのだろうか。
    歴史的にアメリカの経済は安定したものではなかったし、将来的に市場経済の発展は環境問題との間において矛盾が発生すると考えられる。
    よってアメリカと同様の経済構造を目指すというよりは、筆者の言うような技術の変化に合わせた経済構造の変革に加えて‘ECO’などのようにわれわれの利益に対する認識の変化も考えて日本はこれから新しい経済構造を検討していかなければならない。
    内閣総理大臣になったら…
    現在国民が最も関心を高めているトピックの一つは日本国内のまた世界の金融に関する危機である。
    日本に関してはわずかながら景気が回復しつつあると言われながらも低所得者の数は減少していない。つまり景気の回復が低所得者に正しく分配されていないことが問題のひとつにあるという記事を読んだ。さらに今の世界経済、とりわけアメリカの金融に関してはサブプライム問題からリーマンショックなど危機状態にあるといわれている。
    そんな状況で首相になるとしたらやはり経済政策について対策を練らなければならない。著書の高度経済成長やバブル期に関する戦時経済体制の影響を考えると、現代においても経済に対する行政の意思決定が正しい対応を導くとは限らない。もちろん経済体制の根本的な構造改革をするのは必要であるが、今からやっても流動的な経済にすぐに適応はできない。だから今すべきことはせめてその失敗を踏まえて官僚や学者が議論をすることであろう。
    しかしもし衆議院総選挙がすぐに行われるのであれば、ただ単に内閣や与党内で議論するだけでは足りない。なぜなら現在の国民の選挙傾向は前回の参議院選挙のように民主党など野党を支持する傾向があるからである。もし次の衆議院総選挙で政権交代が起こるようであれば与党内の議論だけでは経済政策に関して議論を一からし直さねばならなくなってしまう可能性がある。
    したがって現段階の首相は経済政策に関して与野党一貫した議論をする必要があると考えられる。

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。