この作品を見て、無限に広がっていくような黄土と静かに流れていく時間の中で、その中に佇んでいるような印象を受けた。そして登場人物を見守っているかのようなタッチで物語が進んでいった。その様子は映画というよりもドキュメンタリーのようであり、見ていて一般の映画にはない安心感や落ち着きといったものを感じ、心地よさも感じた。しかし、ただ穏やかであるだけでなく、穏やかさの中に力強く生きていくことに対する情熱が読み取れるように思う。その情熱とは変化に対する情熱であるように思う。自由恋愛・自由結婚などが許されている八路軍の顧青に出会うことによって、翠巧の中に起こる自分の人生の変化への情熱である。顧青に出会うまでは疑問に思うことのなかった村での生活をそとの世界を知ってしまった翠巧はそれに魅力を感じ変化を望むのである。
私はこの作品に描かれている翠巧の物語をどこか自分にとって身近な女性、母・祖母・叔母らみ重ね合わせて見ていた。なぜならそれは翠巧の姿が中国でいういわゆる「現代化」の中で変化し、成長していく女性のひとつの典型的な姿であるようにわたしには思われたからである。映画の中で翠巧は民謡採集にやってきた八路軍兵士の、顧青と出会う。そして顧青と触れ合うことによって自らの生活や村、世界を客観的に捉えていくようになる。それまでは「村」以外の世界知らず、その中で嫁に出て、そこで妻として母として役割を果たすことしか生きかたをしらなかった翠巧が、顧青との出会いによって「自分の人生」を歩み始める。これが私の見た「黄色い大地」という作品である。つまりこの映画の中で翠巧がたどった道は、現代化の進む社会の中で女性が歩んだ道そのものであり、私にとってこの「黄色い大地」とは近代における女性の生きかたというものを考えさせられるものであった。
『黄色い大地』を見て
この作品を見て、無限に広がっていくような黄土と静かに流れていく時間の中で、その中に佇んでいるような印象を受けた。そして登場人物を見守っているかのようなタッチで物語が進んでいった。その様子は映画というよりもドキュメンタリーのようであり、見ていて一般の映画にはない安心感や落ち着きといったものを感じ、心地よさも感じた。しかし、ただ穏やかであるだけでなく、穏やかさの中に力強く生きていくことに対する情熱が読み取れるように思う。その情熱とは変化に対する情熱であるように思う。自由恋愛・自由結婚などが許されている八路軍の顧青に出会うことによって、翠巧の中に起こる自分の人生の変化への情熱である。顧青に出会うまでは疑問に思うことのなかった村での生活をそとの世界を知ってしまった翠巧はそれに魅力を感じ変化を望むのである。
私はこの作品に描かれている翠巧の物語をどこか自分にとって身近な女性、母・祖母・叔母らみ重ね合わせて見ていた。なぜならそれは翠巧の姿が中国でいういわゆる「現代化」の中で変化し、成長していく女性のひとつの典型的な姿であるようにわたしには思われたか...