19世紀の帝国主義の進展からおこった西欧列強による世界分割は、文字どおり全世界の土地を西欧の強国が分け合って植民地にするもので、特にアフリカは、独立していた国が少なかったことから、西欧列強の格好の分割対象になった。モロッコはアフリカの中でも北側に位置し、北大西洋・地中海に面していることから重要な拠点として各国の注目が集まった。そして一歩先に関心を持ったフランスに遅れてきた強国・ドイツが反発する、という形でモロッコの問題は展開し、モロッコ問題は第一次世界大戦勃発の引き金の一つとも言えよう。このレポートでは、二度にわたるモロッコ事件をはじめとしたモロッコの動きを通して、フランスとドイツを中心とした西欧列強の外交政策・外交戦略について述べたいと思う。
外交史レポート
モロッコにおける西欧列強の動きについて
はじめに
19世紀の帝国主義の進展からおこった西欧列強による世界分割は、文字どおり全世界の土地を西欧の強国が分け合って植民地にするもので、特にアフリカは、独立していた国が少なかったことから、西欧列強の格好の分割対象になった。モロッコはアフリカの中でも北側に位置し、北大西洋・地中海に面していることから重要な拠点として各国の注目が集まった。そして一歩先に関心を持ったフランスに遅れてきた強国・ドイツが反発する、という形でモロッコの問題は展開し、モロッコ問題は第一次世界大戦勃発の引き金の一つとも言えよう。このレポートでは、二度にわたるモロッコ事件をはじめとしたモロッコの動きを通して、フランスとドイツを中心とした西欧列強の外交政策・外交戦略について述べたいと思う。
1 モロッコ事件にいたるまで
1-1 モロッコ前史
元々モロッコはキリスト教国ではなく、イスラム教の国であり、預言者モハメッドの娘ファーティマの子孫であるシェリフと呼ばれるサルタン達によって、中途でアフリカ北部原住民のベルベル王朝になった時期(11、12世紀)もあったが、受け継が...