序
近年、司法改革が議論される際に、法曹一元などに加えて陪審制も議論の対象となっている。しかし、いまだに反対論は根強く、先行きは不透明なままである。本論では、まず、『外国法』(戒能道厚、広瀬清吾、岩波書店、1991年)の中のウィルクス事件と陪審制についての部分を要約し、反対論について検討し、また参審制とも比較し、陪審制導入の可否を論じることにする。
1.ウィルクス事件と陪審制
1760年代、国王批判の記事を書いたことによって逮捕、投獄されたジョン・ウィルクスは、その逮捕に用いられた国務大臣の令状が、当時かなり濫用されていた一般的逮捕令状といわれるもので、逮捕されるべき人が特定されておらず、また逮捕の理由となる犯罪事実とその犯罪事実を支持する何らの証拠も明示されていないものであったことに目をつけ、このような令状によって、人を逮捕し拘束すること自体の違法性を追及した。結局彼は、逮捕される直前とロンドン塔に収監される前に、人身保護令状の発給をプラット裁判官のいる人民訴訟裁判所に求め、その結果、身柄を人民訴訟裁判所の下に移され、そこで釈放された。
この事件は、当時の民衆の運動が、政治の世界に接続する回路がつくられつつあった状況を象徴したできごとでもあった。当時は、国会の下院である庶民院においては、各々の議員が全国民を代表しているとは到底いえないような人脈・金脈による議席配分が横行していた。このような状況のもとでは、民衆の要求は、議会における討論を通じてよりも、直接的行動によってこそ実現されるという感情が支配的となるのもやむをえなかった。ゆえに、民衆自らが直接参加することのできる起訴陪審が重要な役割を演じることとなったのである。同時に裁判は、一方では一定の秩序維持機能を有するが、他方では民衆の運動を逆に先鋭化させかねないという両義的・アンビバレントな意味を持った。
日本への陪審制導入について
序
近年、司法改革が議論される際に、法曹一元などに加えて陪審制も議論の対象となっている。しかし、いまだに反対論は根強く、先行きは不透明なままである。本論では、まず、『外国法』(戒能道厚、広瀬清吾、岩波書店、1991年)の中のウィルクス事件と陪審制についての部分を要約し、反対論について検討し、また参審制とも比較し、陪審制導入の可否を論じることにする。
1.ウィルクス事件と陪審制
1760年代、国王批判の記事を書いたことによって逮捕、投獄されたジョン・ウィルクスは、その逮捕に用いられた国務大臣の令状が、当時かなり濫用されていた一般的逮捕令状といわれるもので、逮捕されるべき人が特定されておらず、また逮捕の理由となる犯罪事実とその犯罪事実を支持する何らの証拠も明示されていないものであったことに目をつけ、このような令状によって、人を逮捕し拘束すること自体の違法性を追及した。結局彼は、逮捕される直前とロンドン塔に収監される前に、人身保護令状の発給をプラット裁判官のいる人民訴訟裁判所に求め、その結果、身柄を人民訴訟裁判所の下に移され、そこで釈放された。
この事件は、当時の...