序
犯罪の原因は何かという問題は、古来、人々の関心の対象であったし、今日もそうである。われわれは、凶悪な犯罪が起きると、何とかその原因を知り、同種の犯罪を防止したいと思う。犯罪学においても、その誕生以来、関心の対象であり続けている。犯罪の原因についての見解には、大きく分けて、古典学派に始まる行為者の自由意思を強調する立場と、近代学派に始まる自由意思を否定し人間の行動は決定されているとする決定論の立場がある。本論では、アメリカの臨床心理学者スタントン・E・セイムナウの著作(1)を解説し、その当否を論じ、あわせて犯罪者処遇にも触れることにする。
1.騙しも盗みも悪くないと思っている人たち
スタントンはまず、犯罪原因に対する今日の一般的な考え方はまちがっているとして、次のように言う。
犯罪を引き起こす原因は、犯罪者自身にあるのだ。周囲の好ましくない環境でもなければ、
子育て失格の親に育てられたせいでも、テレビや学校やドラック、あるいは、失業のせいでもない。犯罪は、人間の心の中に住みついているのであって、社会状況が引き金になるわけではない。(2)
これは明らかに、人間の自由意思を強調する古典学派的な考え方である。彼は続けて、犯罪者の思考パターンと一般人の思考パターンは異なるものであり、このパターンを修正しなければ、犯罪者は犯罪を繰り返すと言う。さらに、犯罪者は親や学校に拒否されたわけではなく、それらを自分自身で拒否したのだと言う。例えば、崩壊した家庭に育った多くの人が犯罪者となっていないことを挙げ、たとえ環境が劣悪であろうとも、犯罪者になることは、犯罪者自身が選び取った結果だと主張する。
失業と犯罪に強い関連があるという通念に対しても、これを否定する。犯罪者に仕事を与えても、彼らは肥大した優越意識を持っているために、雑用やルーティンワークに耐えられない。
犯罪原因論と犯罪者処遇の現在
序
犯罪の原因は何かという問題は、古来、人々の関心の対象であったし、今日もそうである。われわれは、凶悪な犯罪が起きると、何とかその原因を知り、同種の犯罪を防止したいと思う。犯罪学においても、その誕生以来、関心の対象であり続けている。犯罪の原因についての見解には、大きく分けて、古典学派に始まる行為者の自由意思を強調する立場と、近代学派に始まる自由意思を否定し人間の行動は決定されているとする決定論の立場がある。本論では、アメリカの臨床心理学者スタントン・E・セイムナウの著作(1)を解説し、その当否を論じ、あわせて犯罪者処遇にも触れることにする。
1.騙しも盗みも悪くないと思っている人たち
スタントンはまず、犯罪原因に対する今日の一般的な考え方はまちがっているとして、次のように言う。
犯罪を引き起こす原因は、犯罪者自身にあるのだ。周囲の好ましくない環境でもなければ、
子育て失格の親に育てられたせいでも、テレビや学校やドラック、あるいは、失業のせいで
もない。犯罪は、人間の心の中に住みついているのであって、社会状況が引き金になるわけ
ではない。(2)
こ...