私は本講義を通して様々な新しい事に気付き、当然だと思っていた事を改めて考えてみる機会を得た。特に印象を受けたのが「人生を物語る」というフレーズである。
私自身自分がここまで生きてきた中には様々な物語がある。しかし、そのあらゆる物語の登場人物は自分ひとりではない。特に乳幼児期においては自分以上に保育者(多くの場合はその両親)が物語において重要な役割を担い、保育者なしでは物語は成り立たない。そこで興味を持ったテーマが、自分自身の経験も踏まえた、「親子関係」である。
育てる本能が備わっていない人間がどのように「育てられる者」から「育てる者」へと、様々な問題を抱える現代社会において、変貌してゆくのかを考察した。
1.育つこと、育てることが難しい現状
少子高齢化社会を迎えたわが国は、いまは「育てられる者」は育つことが難しく、「育てる者」は育てることが難しい状況を生み出してしまったようにみえる。それは乳幼児虐待、いじめ、学級崩壊、不登校、非行、少年の重大犯罪をいった、マスコミの紙面を賑わす残念な出来事があるからをいうばかりではない。むしろ、ごく普通の日常生活を送る子どもたちや大人たちが、「育てられる―育てる」という関係を生きることにおいて、何らかの難しさを抱えているようなのである。
現に、幼児は「早く、早く」と親の思い通りに発達することを急かされ、遊ぶ楽しさを思う存分に味わっているようにはみえない。学童は「勉強、勉強」と追い立てられ、塾通いやお稽古事を強いられて、僅かにマンガやテレビゲームに息抜きを見出すありさまである。思春期の子どもたちは、親からの自立と友達への依存の狭間で葛藤を抱えていて、自分の思い通りが通らないと、すぐに「ムカツク」し簡単に「キレ」てしまう。青年たちは社会の一員という意味での自覚的な社会人になることが難しく、なかなか明るい将来展望を描けない様子である。
「育てる」という営み
~育てられる側から育つ側へ~
私は本講義を通して様々な新しい事に気付き、当然だと思っていた事を改めて考えてみる機会を得た。特に印象を受けたのが「人生を物語る」というフレーズである。
私自身自分がここまで生きてきた中には様々な物語がある。しかし、そのあらゆる物語の登場人物は自分ひとりではない。特に乳幼児期においては自分以上に保育者(多くの場合はその両親)が物語において重要な役割を担い、保育者なしでは物語は成り立たない。そこで興味を持ったテーマが、自分自身の経験も踏まえた、「親子関係」である。
育てる本能が備わっていない人間がどのように「育てられる者」から「育てる者」へと、様々な問題を抱える現代社会において、変貌してゆくのかを考察した。
1.育つこと、育てることが難しい現状
少子高齢化社会を迎えたわが国は、いまは「育てられる者」は育つことが難しく、「育てる者」は育てることが難しい状況を生み出してしまったようにみえる。それは乳幼児虐待、いじめ、学級崩壊、不登校、非行、少年の重大犯罪をいった、マスコミの紙面を賑わす残念な出来事があるからをいうばかりではない。むしろ、...