「アヘン戦争から義和団運動にいたるまでの時期に、清朝政府が列強に奪われた諸権益について、具体的な事例をふまえながら述べなさい。」
アヘン戦争から義和団運動にいたるまでの時期に、清朝政府が列強に奪われた諸権益について、歴史的な流れを考慮しながら、具体的な事例について考えたい。
1840年、「アヘン戦争」が起こり、強力な近代兵器をもつイギリス軍に大敗した。
アヘン戦争勃発の理由としては、1839年11月3日、林則徐による貿易拒否の返答を口実にして、イギリスは、戦火を開いた。
「麻薬の密輸」という開戦理由については、イギリス本国の議会でも、野党であった後の首相ウィリアム・グラッドストンらを中心に『こんな恥さらしな戦争はない』などと、反対の声が強かったが、清に対する出兵に関する予算案は賛成271票、反対262票の僅差で承認され、この議決を受けたイギリス海軍は、イギリス東洋艦隊を編成して派遣した事であると考えられている。
アヘン戦争において、大敗した清は、1842年、イギリスと「南京条約」およびそれに付随する「虎門寨追加条約」、「五口通商章程」を締結することとなった。
「南京条約」の主な内容とし...