現代の若者は、勉強をしなくなった、働かなくなったなどと言われているが、果たして本当にそうなのだろうか。40〜50年前の若者達との比較から推察・論議した結果、<多くの意見では経済的事情の変化が昔と現代の若者の違いを生み出したという。資料である「山びこ学校」「キューポラのある町」では経済的豊かさが第一目標であり、目標達成のためには変容する社会への適応の為の学力が不可欠と考えられたが、日々変容する社会についてゆけない低所得者は総じて十分な教育を受けておらず、また彼等の子供たちも家庭が経済的に困窮しているため進学が難しく、結果的に現代よりも所得階級による文化的再生産の影響が高い状態であると考えられる。当時の経済的格差は現在のそれよりも、特に低所得者にとっては生死に関わるほど、広がっていたと思われ、学問の必要性は非常に強く感じられたのではないだろうか。しかし一方現代では、経済の急成長により所得の底上げがなされ、経済的にほぼ全ての若者が十分な教育を受けられる可能性をもっている。元々ある程度経済的に裕福な暮らしが保証されている中で生活してきた現代の若者(我々)は、所得増加のための学問の必要性はあまり感じなくなり、また経済的豊かさが第一義的であった時代に疑問を感じ、価値体系が分化されたことからも、我々若者達の「勉強離れ」も進んだものと考えられる。>
ただ注意しなければならないのは、この「勉強離れ」はあくまでも経済的豊かさが第一義であった時代の目標達成の為の「勉強」から離れたことであり、経済よりも個々人の精神的豊かさ(もちろんその中に経済的豊かさを精神的豊かさにつなげる人もいるだろうが)を追い求めるようになった現代の若者達は、それぞれの目標達成のための勉強については決して離れてはいないのではないかということであり、一概に不真面目になったと決めつけることはできない。
若者の時代変化
現代の若者は、勉強をしなくなった、働かなくなったなどと言われているが、果たして本当にそうなのだろうか。40~50年前の若者達との比較から推察・論議した結果、<多くの意見では経済的事情の変化が昔と現代の若者の違いを生み出したという。資料である「山びこ学校」「キューポラのある町」では経済的豊かさが第一目標であり、目標達成のためには変容する社会への適応の為の学力が不可欠と考えられたが、日々変容する社会についてゆけない低所得者は総じて十分な教育を受けておらず、また彼等の子供たちも家庭が経済的に困窮しているため進学が難しく、結果的に現代よりも所得階級による文化的再生産の影響が高い状態であると考えられる。当時の経済的格差は現在のそれよりも、特に低所得者にとっては生死に関わるほど、広がっていたと思われ、学問の必要性は非常に強く感じられたのではないだろうか。しかし一方現代では、経済の急成長により所得の底上げがなされ、経済的にほぼ全ての若者が十分な教育を受けられる可能性をもっている。元々ある程度経済的に裕福な暮らしが保証されている中で生活してきた現代の若者(我々)は、所得増加のための学...