「発話行為」とは、言葉(speech)を用いてなされる行為(act)のことである。(①p.182)発話行為の研究は、哲学者John.L.Austinによって本格的に進められた。Austinは、それまでの「真」もしくは「偽」という観点から文を判断する「真理条件的意味論」とは異なり、「いかにしてことばを用いてことをなすか」(④p.35)という新しい観点を言語哲学に導入した。
「発話行為」とは、言葉(speech)を用いてなされる行為(act)のことである。(①p.182)発話行為の研究は、哲学者John.L.Austinによって本格的に進められた。Austinは、それまでの「真」もしくは「偽」という観点から文を判断する「真理条件的意味論」とは異なり、「いかにしてことばを用いてことをなすか」(④p.35)という新しい観点を言語哲学に導入した。
Austinはその命題内容の真偽が判定できるか否かによって、発話を「叙述文」(constatives)と「遂行文」(performatives)に分けた。叙述文は、その命題の真理値を決定できるという性質をもつ。例えば、「日本は島国である。」「1+1は2である。」のように、その対象を記述したり、陳述したりする際に用いられる。一方、遂行文では真理値の決定はできない。文が成立するか否かは、条件が整っているかどうかによって判断できる。遂行文は叙述文のように、すでに成立している状況を描写するのではなく、その文を発することで状況が成立するという特徴をもつ。例えば、「ここに日本丸と命名する。」(③ p.262)のように、「命名」...