江戸幕府の確立
豊臣秀吉の死後、豊臣政権の内部においては、行政面で活躍した石田三成ら文吏派と、軍事面で活躍した武断派が激しく対立するようになった。
江戸幕府の確立
豊臣秀吉の死後、豊臣政権の内部においては、行政面で活躍した石田三成ら文吏派と、軍事面で活躍した武断派が激しく対立するようになった。徳川家康は、五大老の筆頭の地位にあって武断派と手を組みながら、政局の主導権を握っていった。1600年の関ヶ原の戦いで西軍に勝利した家康は、戦後処理として多くの西軍大名を減封・改易に処することによって膨大な領地を没収し、一方で多くの親藩・譜代を創出して、徳川氏による支配の基礎を固めた。その後家康は、全国の諸大名を直接指揮するために、武家の棟梁の地位を表す征夷大将軍の職に任ぜられ、江戸幕府を開いた。開幕後、家康は在職わずか2年余りで将軍職を徳川秀忠に譲...