中世末期以来のヨーロッパ、及びアメリカの歴史は、多くの人々が政治的、経済的、精神的な自由を求め、自らの命を懸けて戦った革命的な歴史である。長い戦いの果てに、自由は勝利し、人民は枷から解放された。しかし、やがて驚くべき事態が発生する。弱者の権利を無視した独裁政治を特色とするファシズムの台頭である。ここで注目すべき点は、ファシズムの党首は、ただ権謀術策を用いて力ずくで国家を支配したのではなく、人民の支持を得て政権を握ったということだ。つまり、人民は、彼らの父祖が全力を尽くして勝ち取った自由を、いとも簡単に投げ捨て、権威に服従し、支配されることを望んだのである。
一体何が人々をそうさせたのだろうか。
1900年のドイツに生まれ、ナチスと向き合うことを余儀なくされた社会心理学者、エーリッヒ・フロムは、この現象を心理学的な面から分析し、自由から逃避した人民の精神状態、そして自由とは何かを独自の理論で解明している。
フロムは、近代人に対する自由の多義的な意味について、
「外的な権威から自由になり、ますます独自性を獲得していくことと、他方において、ますます孤独がつのり、その結果として個人の無意味さと無力さの感情が高まっていくこと」(『自由からの逃走』訳:日高六郎 47頁)
と、記している。すなわち、自由とは解放と孤独が表裏一体となっているわけである。束縛から解放され自由を得た人間は、誰にも干渉されない代わりに、誰にも依存することができない。これは人間にとって耐えがたい、孤独という大きな苦痛を与える。人は他人との協同無しに生きることはできないのだ。そして、この孤独感が増大していくと、多くの人間が「帰属」による安定を求めて、自由という重荷からの逃走を始めるのである。
フロムは、まさにこの心の動きこそが、ファシズムの台頭という悲劇を生み出したのだと述べている。
『自由からの逃走』ブックレビュー
中世末期以来のヨーロッパ、及びアメリカの歴史は、多くの人々が政治的、経済的、精神的な自由を求め、自らの命を懸けて戦った革命的な歴史である。長い戦いの果てに、自由は勝利し、人民は枷から解放された。しかし、やがて驚くべき事態が発生する。弱者の権利を無視した独裁政治を特色とするファシズムの台頭である。ここで注目すべき点は、ファシズムの党首は、ただ権謀術策を用いて力ずくで国家を支配したのではなく、人民の支持を得て政権を握ったということだ。つまり、人民は、彼らの父祖が全力を尽くして勝ち取った自由を、いとも簡単に投げ捨て、権威に服従し、支配されることを望んだのである。
...