日本国憲法14条は「すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」としている。この平等原則ではすべて国民は「法の下に」平等であるとし、すべて国民を法律上正しく取り扱うことを要請している。今日このことは法の内容、つまり法そのものの平等を意味していると考えられており、法の内容自体も不平等であってはならないと考えられている。
そもそも「平等思想」は、古くは古代ギリシャのアリストテレスにみることができるし、多くの宗教においても「神の前の平等」は説かれてきた。しかし「平等」がそういった宗教上の教義を超えたのは近代に入ってからである。アメリカ独立宣言は「すべての人は平等につくられ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され」ているとし、フランス人権宣言も「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する」とうたっている。「生まれ」による差別を禁止する平等原則は各国の憲法で保障されるようになった。
しかし、現代では生まれだけでなく結果に対する平等の考えが広まり、社会権が保障されるようになっている。そして平等とは、各人の事実的・実質的差異を前提として、差異に基づく合理的差別を許容する相対的平等をさすようになった。「等しいものは等しく、異なるものを異なって扱う」という合理的差別で実質的平等を確保するのである。
各人の差異を無視して全く平等に取り扱うと、却って不合理な結果を招いてしまう。平等の意味は、相対的・実質的平等であり、絶対的平等は否定されるため、合理的差別は差別ではなく平等として許容されるのだ。
民法900条4号但書は、非嫡出子の相続分を嫡出子の2分の1と定めているが、この規定が合理的差別に含まれるかどうかについて争う訴訟は、過去何度か提起されている。
法の下の平等について
日本国憲法14条は「すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」としている。この平等原則ではすべて国民は「法の下に」平等であるとし、すべて国民を法律上正しく取り扱うことを要請している。今日このことは法の内容、つまり法そのものの平等を意味していると考えられており、法の内容自体も不平等であってはならないと考えられている。
そもそも「平等思想」は、古くは古代ギリシャのアリストテレスにみることができるし、多くの宗教においても「神の前の平等」は説かれてきた。しかし「平等」がそういった宗教上の教義...